『考える人 vs 菩薩』
The Thinker vs Bodhisattva
第9章

クラナッハのヴィーナス
Venus by Lucas Cranach elder
↑[Lucas Cranach the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons]
小学生のとき、父が「ルネサンス画集」を買ってくれた。買ってくれたというと、欲しかったみたいだけれど父が酔っぱらって、なじみの古本屋で勝手に買ってきただけ。たぶん私は「ルネサンス」の言葉の意味も知らなかった。
生真面目な性格であった父は、飲みすぎた罪滅ぼしみたいな気持ちがあったのでしょう。だったら飲まなければいいんですが、飲まずにはいられない気持、私もじきにわかるようになった。
酔っぱらって、遅くまでやっているなじみの古本屋に寄って、私が求めていない本を買ってくる。おかげで子供のころからヘンな(怪しい)美術書や歴史本や文学本に親しむことになってしまった。
「ルネサンス画集」のボッティチェリやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロが素晴らしいのはわかる。誰でもわかる。
それとは別に、「北方ルネサンス」のくくりで非常にヘンな絵、怪しい絵、ユニークな絵があった。オランダのヒエロニムス・ボス、ドイツのグリューネヴァルトとルーカス・クラナッハです。
そのヘンな画家のことずっと忘れていたんですが、芸大時代に京都河原町の丸善で再会してしまった。写実的な表現でありながら妙にシュールな印象を受けるところが気になって、クラナッハの画集(洋書)を買いました。結局まったく影響は受けなかったけれど。
それからまた40数年間もクラナッハのことなど全く忘れていたんですが、ザビエルのことを書こうと思ったら、クラナッハのことを話題にしなくてはならなくなった。
ルーカス・クラナッハ父(1472 - 1553)は、ザビエル(1506 - 1552)より一世代上だけれど、ザビエルがの方が早く亡くなった。ほぼ同時代人です。
クラナッハの息子(1515 – 1586)は、父と同じルーカス・クラナッハの名前で画家として活躍したので、息子と区別するために、クラナッハ(父)と表記されます。息子はクラナッハ(子)と表記される。(父)や(子)が付かない場合は、父の作品。
上の絵は、ルーカス・クラナッハ(父)の『ヴィーナス』。1532年制作。
その2年後の1534年8月15日、ザビエルやイグナチオ・デ・ロヨラたち6名がモンマルトル教会で神に生涯を捧げることと貞節を誓いあった。「モンマルトルの誓い」とクラナッハの『ヴィーナス』が同時代です。
それにしても、これって本当にヴィーナス? 何でヴィーナスがこんな格好で、こんなポーズしているんでしょう? この顔、この表情、このかぶりもの、絶対におかしい。指も怪しい。ネックレスや透明なベールも怪しい。
愛と美の「女神」とは考えにくい。教会からおしかりを受けなかったのでしょうか? 絶対におかしい。なぜクラナッハは火あぶりにならなかったのでしょうか? やれ異端だ、やれ魔女だといって無実の人をしょっぴいて生きたまま火あぶりにしていた時代です。
「女神なんです」は言い訳にならない。こんなヴィーナス絶対ありえない。もしヴィーナスだったとしても、ヴィーナスはキリスト教の神ではない。キリスト教とは何の関係もない異教(ギリシャ神話)の神です。旧約聖書にも新約聖書にもヴィーナスは登場しない。どうしてこういう絵が問題にならないのが全く不思議です。
異教の女神がOKであるなら、ラクシュミー女神や吉祥天や天照大神もOKしなくてはね。と、ザビエルに言いたい。あなたは釈迦も阿弥陀も悪魔だとおっしゃった。
もしこんなヴィーナスを目にしたら、「人間を堕落させるために悪魔が描かせたに違いない」とお考えになるでしょう。こんな堕落したエロい絵が同時代にあったこと、知らなかったとザビエルはおっしゃるのかな?。
フェイスブックもYouTubeもインスタグラムもエックスも無い時代です。こういう裸体画は王侯貴族の宮廷の奥深くに飾られ、お堅い修道士は眼にする機会はなかったのでしょうか? 「もし知っていたら、焼却するように働きかけた」とおっしゃるかも知れない。
宗教改革の先駆者とも評される修道士サヴォナローラ (1452 - 1498)は確かにそうおっしゃった。そのせいで美しいルネサンス作品が多数焼却されたという。サヴォナローラはエロい絵の存在をちゃんとご存知だった。画家ボッティチェリ(1445
- 1510)も、自分が描いた異教系の絵を焼却したという。

ヴィーナス誕生
Birth of Venus by Botticelli
↑[Sandro Botticelli, Public domain, via Wikimedia Commons]
イタリア・フィレンツェの画家ボッティチェリ(1445 - 1510)が、1484年から1486年頃制作。中世のキリスト教絵画とは全く違う、全く新しい絵画。上のクラナッハのヴィーナスのルーツはこの絵だと思います。ずいぶんイメージが違いますが。フィレンツェとドイツの違いかも知れません。
フィレンツェは古代ローマ帝国時代、春の到来を祝う花の女神「フローラ」にささげた祭りの時期に街の建設が始まったという。フィレンツェの名はフローラに由来する・・・それはボッティチェリの『ヴィーナス誕生』が生まれるにふさわしい場所。
ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」には、古い時代を刷新するような生命の風が吹いている。抱き合う裸の男女が飛翔している。男性(西風の神ゼフィロス)がその風を吹いている。
草のニンフ(妖精)クロリスはゼフィロスにしっかりつかまっている。クロリスはゼフィロスと結ばれて花の女神フローラになったという。薔薇の花が風に吹かれて舞っている。
裸のヴィーナスの金髪が風にたなびく。重い鎖から解き放たれたような感覚。ヴィーナスの表情には少し憂いがあるものの、中世キリスト教絵画とはまったく異なる若々しさ、自由、セクシーな魅力がある。
こんな絵を描いてしまっていいのでしょうか? ヴィーナスもニンフもゼフィロスもフローラも古代ギリシャ神話の神や精霊、異教の神々です。キリスト教は一神教だったはずなのに、ここにはキリスト教の要素がひとつもない。
誰もが世界史や美術史の授業で、ルネサンスを代表する絵画として目にしたと思います。誰もが一度は目にする絵だと思います。きっとルネサンス期の多くの人々がこの絵を称賛し、ルネサンスの象徴として多くの人がこの絵に影響を受けたと思うじゃないですか。
違っていたんです。ルネサンス期の人々はこの絵のことを知らなかった。だけじゃない、そのご400年間も知られていなかった。19世紀のイギリスのラファエロ前派の画家たちが注目したことで再発見、再評価され、世界中に知られるようになった。
今でこそ超有名だけれど、実は400年間も知られていなかった。メディチ家の宮殿に長く放置されていたんです。ルネサンスを代表する絵だということは学んだけれど、この絵が400年間も忘却されていたことは学ばなかった。
もし歴史というものを学ばなくてはならないのであれば、400年忘却されたという事実と、なぜ400年も忘却されたかを教えてもらうべきだと思います。それが本当の「歴史」というものじゃないか。都合のいいように作られた西洋美術史、私はそれを信仰した信者だったかも知れない。
輝かしい「文芸復興」とか「人間解放」、「近代の始まり」というラベルは、都合のいい西洋近代礼賛の歴史観を創作したというか捏造したというか、
一種の「マインドコントロール」でもあると思います。
古来から歴史書はつねに自分たちの都合のよいように書かれてきた。(謝世輝著『新しい世界史の見方』)
つまり都合の悪いことはカットされる。そうやって都合のいい話ばかり聞かされていると、都合のいいように「洗脳」されてしまう。
大阪府茨木市の大阪府立春日丘高校3年生のとき、世界史の先生は担任でもある若い福本先生でした。先生は、謝世輝(しゃ・せいき)の『新しい世界史の見方』(講談社現代新書)が記述しているような内容が本当の世界史だと思うと言われた。本当はこういうことを教えたいと。
しかしながら文部省の指導要領というものがあり、中間試験・期末試験もその線に沿って出題することになり、大学受験でもそういう内容が出題される。
だから教科書の線に沿って授業を行うことになるが、ぜひ『新しい世界史の見方』を読んでほしいと言われた、そのときの先生のお顔を今だに覚えています。

新しい世界史の見方
“A new way of looking at world history” by Sha Seiki
これです。私は非常に大きな影響を受けました。このようなクレージーな本を、高校3年の世界史の最初の授業のしょっぱなで紹介していただいたこと、今だに感謝しています。
著者の謝世輝は母と同じ1929年(世界大恐慌の年)生まれ。台湾出身。国立台湾大学を卒業後、名古屋大学大学院で原子物理学を学び、素粒子論で理学博士号を取得。1967年相模工科大学教授となる。
けれど科学の進歩・発展は必ずしも人類のためにならないという考えに至り、1970年より文明・文化史及び歴史学に転身。
この本は1972年(昭和47)に出版されました。ということは、福本先生は出版されたばかりの本を私たちに紹介されたということです。
そしてそのご・・・・・そのごのことは知りませんでした。1978年東海大学教授となり、世界史を講義されたそうです。
そしてそして驚きました。1980年代からはアメリカの「ニューソート思想」の紹介本や自己啓発書を多数出版。多くのファンを持つ、と著者紹介にあります。確かにAmazonに非常にたくさんの著作がアップされています。
「原子物理学から歴史学へ」というだけでも、そうざらには無いと思います。しかも『新しい世界史の見方』にあるように、近代文明についてのシャープな知見と深い洞察がなされています。
それだけでも驚きなのに、今回「歴史学からニューソートへ」と転身されたことを知って、さらに驚きました。どうして歴史学の教授や著作活動を止められたのだろう?
本当のことを言うことは、どんな分野だって非常に危険なことです。無難なことを言っておくのが安全です。謝先生の主張は、危険な内容を含んでいると思います。梅原猛先生も西洋文明の批判、キリスト教の批判をされましたが、謝先生の指摘はそうとうヤバイ。
ストップせざるを得ない外圧があったのかどうかはわかりませんが、これを書いていて、謝先生著『戦争はなくならない』(1992年/光文社出版)という本をAmazonで見つけて一気に読みました。それについてはまた、のちほどふれたいと思います。
ふっと思ったんですが、ひょっとしたら謝先生は「ニューソート」というものに、明るい未来を託されたのでしょうか? 「ニューソート」の流れのひとつが「ニューエイジ」につながって、ZENや神秘主義、ニューサイエンス、スピリチャル、瞑想、ヒーリング、ディープエコロジーなどの潮流にもつながっていきました。今の「マインドフルネス」の流れにもつながるそうです。「宗教から精神世界へ」みたいな潮流です。
歴史学という学問の範疇にとどまるのではなく、自ら新しい歴史を切り開く、そういう試みをされたのでしょうか? 謝先生の本心を知りたいところです。

ヨーロッパ文明の衝撃
The impact of European civilization
『新しい世界史の見方』の「まえがき」。赤鉛筆の印は高校3年生、17歳の私が付けました。この本も実家のダンボールに長く眠っていたので劣化していません。
ヨーロッパ文明が世界にもたらした最大の衝撃はなんであっただろうか。物質優位の文化を推進し、人間の精神を病的に分裂させたこと、地球の広汎な地域の文明を破壊し、ジェノサイト(大量殺戮)をくりひろげたことではなかったか。
今やヨーロッパの時代は過ぎ去りつつある。 だが、かれらが直接、間接に残した破壊の痕跡は地球上に充ち、 現在人類は精神的な危機、地球をおおう公害、
ならびに激化する南北問題などの諸難題に苦悩している。
当時の高校世界史の教科書は、まったくヨーロッパ中心の世界史であり、「大航海時代」とか「新大陸の発見」が高らかに描かれていた(今は違うと信じたい)。ところがこの本は、教科書とは全然違う見方をしている。私が付けた赤鉛筆の印のあとに、こういう文章が続きます。
このような現代において、 歴史家はなにをなすべきであろうか。歴史家にとって、現在の要求にふさわしい世界史をつくることは緊急な課題である。
しかし、残念なことに、今に至るもヨーロッパ中心の、時代おくれの世界史像が歴史学会に、そして日本全国の書店に君臨し、従来の枠を超えようとする試みがほとんどあらわれていない。
従来の世界史観、あるいはトインビー史観では明かに今日の要求に答えることができない。私は浅学ながら、これらの歴史観を超えるものをめざして、私なりの新しい世界史像を考え、この小著にあらましを述べてみた。
この本と出会ったことが、京都新聞編集局編『京都の仏像』につながっていき、京都市立芸大学長だった梅原猛先生の哲学につながっていきました。そうやって、私に刷り込まれた西洋美術中心の美学、美術史、西洋近代礼賛の歴史観が薄れていった。そういう意味で、福本先生には大感謝しています。
高校世界史の授業で学んだメロヴィング王朝とかカロリング王朝のことを覚えていますか? 試験が終わったら、ほとんどの人は覚えていないと思います。試験のためだけの勉強です。試験のための英語学習だと、何年学んでも英語が話せなかった、それと同じ。ヘの足しにもならない。
悲惨なことに「歴史」が「暗記科目」になってしまった(今は改善されたと信じたい)。そのことに何の痛みも感じない先生もあります。痛みを感じる先生は福本先生のように、謝世輝の驚くべき本を生徒に紹介することになるんだと思います。
私は、しっかりこの本を読みました。読んだからといって成績がよくなるわけではありません。 こんな本ばかり読んで、ちゃんと試験勉強しないから、得意科目であるはずの世界史の成績もだいたい5段階評価のC、つまり3だったかな。
芸大受験の学科試験は世界史ではなく日本史を選択したので、受験には関係がないという気楽さもあった。この本のことを話題にすると、とりとめなくなってしまうので、あらためてあとの章で触れるとして、
教科書代わりに読んだ本をもう一冊↓

会田雄次著『ルネサンス』
Renaissance by Yuji Aida
↑この本の表紙にもやっぱりボッティチェリの「ヴィーナス誕生」。ルネサンスの定番なんです。この絵が実は400年間も知られていなかった・・・としたら歴史のデッチアゲだと思いませんか?
この本はなぜか実家の段ボール箱には残っていなかったので今回、Amazonの中古の文庫本を100円以下で購入し、なつかしさがこみあげるなかで夢中になってすぐ読み切りました。
「文庫本あとがき」に、「初版発行後すでに二十余年を経た旧著だけれど、すこし口幅ったいいい草になるが、その内容は概論として今日でも世に問えるだけのものを持っていると信じている」とあります。
旧著(原本)は1969年発行でした。高校生の私が読んだのは文庫版ではなくハードカバーの原本でした。あれから半世紀の月日が流れた今読み直して、「今日でも世に問えるだけのものを持っている」と思いました。会田先生にしか書けない本だと再認識しました。
学術系の本はどんどん古くなっていく。新たな発見がなされると、あっというまに定説がひっくり返り、何の役にも立たなくなる。
会田雄次(1916 - 1997)の著書『ルネサンス』は、これは学術本ではなくルネサンスをテーマにした思想書とか人間学といえるものでした。思想書や人間学は古くならない。この本、学術的にみたらもう通用しないのかも知れませんが。
高校2年だったか、3年だったかよく覚えていない、どの先生だったかも忘れたけれど、高校の先生に勧められて会田雄次著『アーロン収容所』(1962)を読んだ。
後味が悪くていつまでも嫌な気分が残った。Amazonのレビュー欄に、この本の中から次のような引用がありました↓
私たちだけが知られざる英軍の、イギリス人の正体を垣間見た気がしてならなかったからである。いや、たしかに見届けたはずだ。それは恐ろしい怪物であった。
この怪物が、ほとんど全てのアジア人を、何百年にわたって支配してきた。そして、そのことが全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ。私たちは、それを知りながら、なおそれとおなじ道を歩もうとした。
この戦いに敗れたことは、やはり一つの天譴(てんけん/天罰)というべきであろう。しかし、英国はまた勝った。 英国もその一員であるヨーロッパは、その後継者とともに世界の支配をやめてはいない。私たちは自分の非を知ったが、しかし相手を本当に理解したであろうか。
↑会田雄次。京都帝国大学文学部史学科で西洋史を学ばれた。イタリア・ルネサンスがご専門。京都帝国大学や龍谷大学で講師をされていたが、戦局の悪化で徴集されビルマ戦線に従軍。戦後、京都大学教授に就任。
西欧文明を学んできた若い学者が、いきなり西欧人と殺し合う戦場に送られ、イギリス軍捕虜となり、1947年に復員するまで首都ラングーンに拘留された。
1945年8月15日、降伏を告げる玉音放送があり、9月2日、米戦艦「ミズーリ」の甲板で日本降伏の調印式が行われた。 が、ビルマにとり残された日本兵たちは現地で捕虜になったまま帰国できす、過酷な強制労働の日々が続いた。
それにしても、上の文章の「恐ろしい怪物」というのは驚くべき表現です。 日本兵というけれど、職業軍人より、徴集されたふつうの市民が多数だったと思います。職業軍人ならどんな目にあわされても仕方がないと思う。自ら志願して兵士になったのだから。戦場で死ぬこと、悲惨な目にあうことは覚悟の上で志願されたはず。
捕虜になるぐらいなら自ら死ねと教えられた時代の兵士は、捕虜となること自体が最大の恥辱だから、収容所でひどい目にあっても、ひたすら黙って耐えたのかなと想像します。人によりけりでしょうが。
けれど強制的に徴集されたふつうの市民は・・・人を殺すなんて考えたこともないふつうの人間が、突然戦場に送られる。
それだけでも過酷なことなのに、捕虜になって強制労働させられたら、耐えがたい思いをされたのではないでしょうか。

↑ビルマ戦線の捕虜収容所。 [Unknown author, Public domain, via Wikimedia Commons]
たぶん会田雄次先生のような知的エリートは、肉体労働なんかされたことがないと想像します。 美味しいものが食べられないのは当然として、生きられるギリギリの少量、ひどい食事しかもらえない。
お風呂もない、みんなが臭い。便所もきたない臭い。絶望的な日々が続く。自分があこがれ学んできた西欧文明とは何であったのだろう。それは教科書その他の書物から学んだただの知識に過ぎなかった。今初めて現実を体験する。これが現実の西欧文明だった・・・
会田先生は考える「そして、そのことが全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ。私たちは、それを知りながら、なおそれとおなじ道を歩もうとした」
日本人も同じ道を歩もうとした。そうして戦いに敗れた。それは「天罰」というべきだろうと会田先生は言われる。 会田先生は戦後、保守派の論客として知られた人だけれど、アジアの戦場で戦った人だから知っている。アジアの解放のために戦ったなどという美化、うそっぱちは言われない。
私がお世話になった大正生まれの先生たち、母の兄(おじ)たち、出会いのあった大正生まれのすべての人たちを思いだして、大東亜戦争がアジア解放のための聖戦だったと言う人はなかった。私が出会った人に限っては。
その時代を生きた人たちは知っていた。戦後、保守派になろうと革新派になろうと、右派になろうと左派になろうと。明治生まれの父方の祖父は共産主義嫌いでバリバリの保守派だったけれど、大東亜戦争がアジア解放のための聖戦だったとは言わなかった。
降伏を告げる玉音放送のとき15歳だった私の父も言わなかった。ただし、父はマルクス・レーニン主義に傾倒したので中立的とはいえない。そのとき16歳だった母は、生涯ノンポリで無宗教だったので中立的だといえる。
母に「大東亜戦争はアジア解放のための聖戦だった?」と聞いたことはなかったけれど、もし聞いていたら、ものすごく怒ったと思う。母は怒るより泣くタイプだったので、たぶん泣いたと思う。そんなこともわからない息子に育ててしまったのか、と落ち込んだでしょう。
会田先生は「私たちは自分の非を知ったが」と書かれている。保守派の論客が、大東亜戦争における大日本帝国の「非」を認めておられる。
「英国もその一員であるヨーロッパは、その後継者とともに世界の支配をやめてはいない」という状況は今現時点でも同じです。会田先生が言われる「その後継者」というのはアメリカ合衆国のことですね。
今起きているロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナ戦争等、先生が『アーロン収容所』を執筆された1962年と大きく変わっているわけではない、その延長線上で起きていることだと思います。会田先生にはこんな発言もあります。
イギリス人を全部この地上から消してしまったら、世界中がどんなにすっきりするだろう。
(もう一度戦争した場合、相手がイギリス人なら)女でも子どもでも、赤ん坊でも、哀願しようが、泣こうが、一寸きざみ五分きざみ切りきざんでやる。
会田雄次教授のこのご発言、無茶苦茶過激です。京都大学教授というお立場を著しく逸脱していると思います。 逸脱してもどうしても言わざるをえないほど痛烈な気持ちがあって、おさまらないんですね。

怪物を根絶やしにする
Eradicate the monsters
ネタニヤフ首相も同じことをおっしゃっている。「怪物」を根絶やしにする準備ができていると発言された。 「切りきざんでやる」というのは教授というお立場にある人が言うことではないと思いますが、一国の首相が同じことを言われる。

↑いかなる手段を使っても止まらないこの怪物を止めろ。限界まで生産しろ! これはあなたの戦いだ! [National Archives at College
Park, Public domain, via Wikimedia Commons]
自由の女神を殺そうとしている怪物・・・牙をむくナチスと日本(たぶん東條英機)。 口から血がしたたり落ちる、ものすごい表現です。わが国は敵国を「鬼畜」と呼び、敵国はわが国を「怪物」として描く。

↑米鬼、アメリカ合衆国ルーズベルト大統領が「日本人を殺せ!」「日本人を地球から抹殺せよ!」と言っている、それに対して「造れ、送れ、飛行機を」とアピール。 アメリカのプロパガンダ・ポスターに比べるとインパクトが弱い。 「鬼畜」なのに口が牙になっていない、血がしたたり落ちていない。

ヒトラーと東條英機。東條首相の歯がものすごい。 [Unknown authorUnknown authorU.S. Department of
Agriculture, Public domain, via Wikimedia Commons]
グラフィックデザイナーとして歩みだしたころ、私は先輩やクライアント企業の企画部長とか営業部長によく注意された。
「君は美術出身だから、ついつい芸術作品を作ろうとしてしまう。そうじゃないんだ。商品を売るのが目的なんだよ。商品価値を高めて企業に利益をもたらす、それが君の仕事なんだ」
「商品をアピールしなくてはならないんだ。どうしたら商品がよく売れるようになるか、どうしたらクライアント会社の売り上げを伸ばせられるか、そこに君の才能を使うんだよ。才能にお金を払ってくれるのはそのためなんだ」
東京の大手広告代理店を早期退職して、出身地の大阪にUターンしてコピーライター兼プランナーの仕事をされていた実力派の方と食品関係の仕事でご一緒させてもらう機会がありました。
私のような経験も実力も全然ない若輩者相手に、この業界でプロとして仕事していく心構えみたいなことを、飲み屋で色々説教してもらった。私より15歳ほど年上で、大先輩というべき人でした。
その大先輩が食品の仕事で出してきたキャッチフレーズ案や商品説明文を見てたまげた。あまりにどぎついアピール。法律に触れないですか?と聞いた。すると彼は言った。
「大阪の企画マンは、法律に触れるか触れないか、すれすれのところをねらわなあかんねん。あたらずさわらずみたいな無難な表現してたんでは売れへん。
宣伝費をたっぷりかけられる東京の会社とは違うんや。君もパンチ力のあるデザインを考えてや。たのむでー」

一瞬にメッセージが伝わります。強烈な印象を残します。 [National Archives at College Park, Public domain,
via Wikimedia Commons]
グラフィックデザインの仕事は、美術の才能やセンスがあるだけでは全然だめで、マーケティング戦略、販売戦略というものを学ばなくてはならない。というのも、ポスターやパンフレット、カタログ、POPはセールスプロモーション・ツールだったんです。
そのために緻密な市場調査もし、消費者ニーズの分析もし、商品コンセプトの理解が必要です。クライアント企業との会議・打合せがあるので、コミュニケーション能力も必要です。「私は人と話すのが苦手です」というタイプの人はそういう仕事は向いていないと思います。
私たちはアメリカ型販売戦略を教えられました。考え抜かれたプランニング理論です。コカ・コーラ社は100年以上まえからそういう販売戦略を考えてきました。
コカコーラ社のロゴマークやキャッチフレーズ、コマーシャル、看板は徹底的に考え抜かれている。私はネパールを旅した1993年に、たくさんのコカコーラの看板を目撃しました。
こ、こんなところにまでコカコーラのあの赤い看板があるか、と驚きました。

ヒンドゥ教の聖堂の横にコカコーラの看板。ネパールは最貧国のひとつと言われています。そんな国でもコカコーラの赤い看板があちこちにあった。

現在はどうか知りませんが、私が行った当時はどぎつい色の看板が無く、コカコーラとペプシコーラの看板がやけに目立っていた。

キリスト教は地のはてまで宣教師を派遣するけれど、資本主義もどこどこまでも商品の販路をひろげ、世界中を資本主義のシステムにまき込む。逃れることはできない。
世界を支配している。
好むと好まざると、巨大な歯車が勝手に回り、人は歯車の一部とされる。巨大のシステムの部品のような生き方・・・間水君はそれを嫌った。彼はそのような生き方を「機械」や「奴隷」と書き、そこからの解放を「散歩」という言葉に込めた。

京都に寺院神社が密集しているように、ネパールはいたるところにヒンドゥ教の寺院がある。仏教の寺院も少しあって、この写真は仏教のストゥーパ。
その粗末な寺院の建物に共産主義者がスローガンを落書きしている。何とも不思議な風景だと思った。当時、マオイスト(毛沢東主義者)と呼ばれる過激派グループが反体制運動を始めていた。
あのとき私は「ゴッド・イズ・デッド」で始まる『神とコーラと共産主義』という散歩派論文を書きました。とっくに失われてどこにも残っていません。その時にしか書けない、二度と書けない文章というものがあります。もう書けません。
残しておいたらここにアップできたんですが、そのときは間水君が面白いと言ってくれたらいいかなと思っていた。意外なことに母が面白いと言った。
母に見せるつもりはなかったけれど、帰国してインド、ネパール、タイで撮った写真を見せたら、写真を入れた箱に『神とコーラと共産主義』が入っていた。散歩派論文とかいって、一応論文と名のってはいるけどA4サイズの1枚だった。

↑[National Archives at College Park, Public domain, 通过维基共享资源] 残虐そうな日本兵がアメリカの少女を恐怖におとしいれている。野蛮な怪物日本兵はこんな少女を殺そうとしている。アメリカ世論を動かす強烈な表現です。
こんなやつらを生かしておいたら、自分たちの子供たちが危険にさらされる。原爆でも何でも使って、早く悪魔をやっつけてくれ、そう願いたくなります。

↑[Office for Emergency Management. Office of War Information. Domestic
Operations Branch. Bureau of Special Services., Public domain, via Wikimedia
Commons]
会田雄次先生はビルマでイギリス軍の捕虜になって辛酸をなめられたけれど、フィリピンのバターン半島ではアメリカ兵とフィリピン兵が日本軍の捕虜になって辛酸をなめた。捕虜を収容所まで遠距離を歩かせ多数の死者を出した「バターン死の行進」と呼ばれる。
それを非難するポスターが上。「殺人鬼ジャップを全滅させるまで手を休めるな」と書かれている。互いに、切りきざんでやる。根絶やしにしてやる。全滅させてやる・・・もうお互い正気じゃない。
坂口安吾が言うみたいに「戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ」 。平和なときにはキ印でもバカでもなかった人がおかしくなってくる。
私もおかしくなるに違いない。坂口安吾だって「オレの手に原子バクダンがあれば、
むろん敵の頭の上でそれをいきなりバクハツさせてやったろう」と書くぐらいだから。
捕虜になって強制労働させられる以前に、強制殺人をしいられる。ほんの少し前まで欧米を師として学んできた。今度は師を「鬼畜」と呼んで殺す。敗戦後は即座に欧米追従にもどる。会田先生は、そこにクギを刺すために『アーロン収容所』を書かれたのだと思います。
これを読み終わったとき、この先生が意外にもルネサンスがご専門であることを知り、ぜひ先生のルネサンス論を読んでみたいと思った。この先生なら美化したルネサンスではなく、本当のことを書いておられるだろうと思ったんです。
やはり思ったとおりでした。
『アーロン収容所――西欧ヒューマニズムの限界』の「西欧ヒューマニズムの限界」という副題に、会田先生の捕虜体験がにじみでている。もしイギリス軍の捕虜にならなかったら、先生も「文芸復興」とか「人間解放」という輝かしいルネサンス論を執筆されていたかも知れない。
『栄光のルネサンス――ヒューマニズムの賛歌』という本になっていたかも知れません。
あらゆる学問は研究者の視点によって、まったく異なる結論がでる。客観的な真実なんてないとすら思う。研究者の人生体験、恋愛体験、社会体験、戦争体験、生い立ち、読書体験・・・あらゆる体験や思考が強く影響する。
会田先生は苦しい捕虜生活を体験することによって「西欧ヒューマニズムの限界」を認識し、日本が手本としたイギリスのヒューマニズムは幻想だったとさとられた。
当時の私は「ルネサンス」に対して過剰なあこがれや夢をいだいていました。ボッティチェリやダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロを生んだルネサンス、偉大なルネサンスについての甘ったるい幻想がありました。
素晴らしい時代、歴史の黄金時代であったに違いないという私の想像は、会田先生の本によって見事に打ちくだかれた。今の時代と何ら変わらない。同じ矛盾、同じ争い、殺しあい、うらぎり、苦しみ、憎しみ、欲望、葛藤、喜び、楽しみ、崇拝、支配、虚栄、絶望があった。いつの世も同じことをくり返しているんだと思った。
だったら歴史なんて、学ぶ意味がないじゃないか・・・歴史から学ばないのであれば、何のために歴史を学ぶのだろう。 そうか中間試験、期末試験、大学受験でいい点数をとるために学ぶのか・・・学ぶんじゃない暗記するだけじゃないか。だからクソのたしにもならない。

ボッティチェリのヴィ-ナスがやや憂い顔であることは気になっていました。 会田先生によると、ペストのパンデミックの影響があるという・・・

美のはかなさ
The Transience of Beauty
↑[By Sandro Botticelli - The Yorck Project (2002) 10.000 Meisterwerke der
Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202.,
Public Domain]
古代ギリシャの女神の裸体と比べて、はかなげな印象がある。もっとなまめかしく、もっとエロティックな印象があってもいいはずですが、 この表情と不安定なポーズのせいかな、美や若さを謳歌しているようには見えない。歓喜の表情であってもいいはずなのに・・・
花の色は移りにけりないたづらに
わが身世にふるながめせしまに
平安時代前期(9世紀)の歌人、小野小町の和歌みたいに、何か虚無感が漂ってしまう。でも小町もそうだけど、虚無僧の無の境地ではない。行間にそこはかとなく色気を感じる。『ヴィーナス誕生』は全裸のお姿なので、当然セクシーでもある。
それはつかのまの美しさなのでしょうか? それは永遠の美しさではない。しばらくすると輝くように美しかった肌にシワやシミ、たるみが生じる。注目を浴び称賛され恋の告白をされたあの若くて美しかった栄光の日はやがて去っていく。誰にもやってくる老い、忍びよる死・・・
そしてこの絵が400年間忘却されたこと、そのごのボッティチェリの絵が精彩に欠けることや、フィレンツェ絵画の衰退を想うと、 ヴィーナスの憂い顔はおのれの運命を予感させるものだったのかと想像してしまいます。


さすが会田雄次先生は「官能的ではない」などという噓っぱちを書かれない。
かれは「ヴィーナスの誕生」とか「春」といった作品で有名である。いずれも人間の官能美や、木や花や自然の悩ましい美しさと、
その美のはなかさを表現した抒情詩というべき絵をものにしている。

サヴォナローラ
Girolamo Savonarola
↑[Moretto da Brescia, Public domain, via Wikimedia Commons] ドミニコ会修道士サヴォナローラのことも高校の世界史の授業で習ったはずです。覚えていますか?
このかたです。厳しい表情をされています。それにしても画家の力量というか表現力が素晴らしいと思います。ひたいに少し血管が浮き出ているのが恐い。しょうもないダジャレを言ったら、こっぴどく叱られそうです。
私もこの画家のこと知りませんでした。イタリアルネサンスの画家モレット・ダ・ブレシア(1498 - 1554)の作。
この優れた画家のおかげで、サヴォナローラが500年前の人に思えません。ただしダ・ブレシアはサヴォナローラが絞首刑にされた1498年の生まれだから、実物を見て描いたわけではない。下が全体↓

画家が25歳、1524年の作。この絵の元になる原画またはスケッチがあって、それを見て描いたのでしょうか? 黒の面積が広く、色を抑えています。左にも右にも黒い影を描いており、厳粛と言いたいところですが、私は恐い。
こんな恐い顔、描きたくない。飾りたくない。部屋が陰気になる。
ルネサンスとは、中世の神中心の世界観から、人間中心の世界観=人間中心主義への移行であると定義されたりします。
西洋のヒューマニズムのはじまり、人間性の解放とも言われます。としたら中世回帰を説くサヴォナローラがなぜ同時代の多くの人々を惹きつけたのでしょうか?
サヴォナローラは性の欲望や現世の贅沢や享楽にふけるものは、ただちに神の罰がくるであろうと断言した。
もっとも悪しきものは、善良な人々をそのような罪禍へ誘った人々である。悪魔の誘惑でしかない古典古代の肉欲の美を宣伝した美術家や文学者は悪魔のかたわれだ。
このようなサヴォナローラの説教に、すっかり酔わされたボッティチェリは別人のようになった。
サヴォラナローラは神への信仰より、お金や宝石や贅沢な衣装や美食やセックスや権力を追い求める人々に対して怒っておられるのでしょうか? それとも自分を絞首刑にした上で火あぶりにしたそのかた↓に対する怒りなのでしょうか?

↑スペイン貴族の家系であるローマ教皇アレクサンデル6世(1431 - 1503 在位:1492 - 1503)。[Attributed to
Pedro Berruguete, Public domain, via Wikimedia Commons] 1495年、スペイン出身の画家ペドロ・ベルゲテ(1450–1504)の制作。
サヴォナローラに対して死刑を命じた教皇です。二重あごで、でっぷりされています。サヴォナローラの肖像画と全く正反対。サヴォナローラの肖像画を描いた25歳の画家ダ・ブレシアは、教皇のこの絵を知っていて、それと正反対の人物像を描いたのかなと想像します。

↑こちらはボッティチェリ(1445 - 1510)と同じフィレンツェの画家フラ・バルトロメオ(1472 - 1517)が描いたサヴォナローラの横顔。[Fra
Bartolomeo, Public domain, via Wikimedia Commons]
1498年の作という。フラ・バルトロメオが26歳の制作ということになる。こちらも若い世代が描いた。サヴォナローラが処刑される前だったとしたら、モデルを忠実に写実したということでしょうか?

サヴォナローラ vs 教皇
Savonarola vs Pope
26歳の若い画家フラ・バルトロメオがサヴォナローラを描き、45歳のベテランの画家ペドロ・ベルゲテが教皇アレクサンデル6世を描きました。教皇の肖像画を意識したかのような対極的な表現です。教皇の絵の背景は金箔が使われているはずです。サヴォナローラの絵の背景は黒一色。
若い画家フラ・バルトロメオは1490年代後半からサヴォナローラに惹かれていったという。サヴォナローラは同時代の絵画を贅沢品、堕落、腐敗、虚栄とみなして非難しました。
たとえばヴィーナスだ、ニンフ(妖精)だと称して若い女性のなまめかしいヌードを描いた絵・・・それってまさにボッティチェリの『ヴィーナス誕生』や『プリマヴェーラ』です。不思議なことにボッティチェリもサヴォナローラに心酔し、1490年代後半から作風が変わる。
会田雄次著『ルネサンス』はサヴィナローラについて、こんなふうに書いています。
この数年間、フィレンツェの町は、奇怪な修道僧サヴォナローラの独裁的支配のもとにあった。 サヴォナローラはドミニコ派の修道僧で、神がかり的性格を強くもっていたように思える。たえず幻覚を見、フィレンチェの将来を予言していた。
だかほんの数年まえまでは、この町は大富豪メディチ家が君主とかわらぬ地位を占め、その指導下にボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、
ドナテロなどの芸術家をはじめ、当時の世界を指導した哲学者や文学者が輩出し、歴史上、古代アテネの栄光をしのぐという繁栄を誇っていたのである。
↑1971年イタリアで制作された『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯』、日本語吹替版がNHKで1972年7月26日~8月23日に放映された。私はこのドラマに夢中になりました。15歳から16歳になるころ、高校1年生でした。再放送も見ました。
画家になるということは、単に絵がうまくなるということではなくて、もっと深くものを観るということが必要なんだと学びました。花や風景やヌードをじょうずに描くことではなく、深く探求することが画家の本当の仕事なのかも知れない、それなら一生かけてやる価値のある仕事だと思った。
というのも感動なく、つまらない気持ちで石膏デッサンや鉛筆デッサンをやっていると、何かもっと価値のある仕事をめざして努力した方がいいのではないか、みたいな迷いが生まれてくる。間違った選択をしているのではないか、自分の将来についてもっと真剣に考え直すべきではないかと迷う気持ちもあった。
それと高校美術部の友人が教えてくれる現代美術の情報・・・それは興味深くはあるけれど私は混乱した。もはや絵具や絵筆やパレットを使ってアートする時代は終わったのかも知れない。だとしたら、なおさら石膏デッサンや鉛筆デッサンは無意味すぎる。
かといって学校の勉強は、どの教科も退屈きわまりない。それなのにすぐに中間テストがやってくる。試験勉強にうんざりして(というほど勉強はしなかったけど)、やれやれ中間テストが終わったと思ったら、すぐにまた期末テストがやってくる。常にテストに追われている。テストに縛られた青春。テストに支配された青春。
たぶん現実逃避するために、スケッチブックを持って自転車で遠出した。成績につながらない本を読むのも現実逃避のためだったと思う。

『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯』Part4に登場するサヴォナローラ。この姿は下の絵を参考にしたのでしょうか↓

ドイツの画家、ルートヴィヒ・フォン・ランゲンマンテル(1854 - 1922)が、1879年に描いた『サヴォナローラの説教』。 [Ludwig von Langenmantel, Public domain, undefined] 会田雄次著『ルネサンス』はサヴォナローラに8ページもさいています。
こうしてフィレンツェはサヴォナローラの口から伝えられる「神の意思」によってすべてが行われた。「神は簡素で禁欲を旨とした生活を欲し給う」。
このことばにより、市民は化粧道具、アクセサリー、衣装、遊び道具といった贅沢品から芸術作品にいたるまで、そのすべてを市の摘発隊に提出しなければならなかった。
悪魔を焼き殺すということで、それらがみな広場につまれて焼かれた。千古の名作や書物もみな焼かれた。



サヴォナローラは、フィレンツェの「サン・マルコ修道院」でこのような説教をした。その修道院は今は「サン・マルコ国立美術館」として公開されているという。
私がルネサンス美術に惹かれ続けていたら、きっとこの修道院を訪ねていたと思う。 なぜってここにはフラ・アンジェリコ(1390 - 1455)の有名な『受胎告知』(1440
–1445)がある。ドミニコ会修道士としてサン・マルコ修道院で信仰生活をしていた。 「フラ」は修道士を意味します。
この絵、学校の美術史の授業でも必ずとりあげるはず。私も20台前半、中学校でこの絵のことを教えたかも知れません。教えた記憶が残っていないんですが。ペーパーテスト的なキーワードは「透視図法」と「初期ルネサンス」と「フィレンツェ」かな↓

受胎告知
Annunciation
↑[Fra Angelico, Public domain, via Wikimedia Commons]
大天使ガブリエルが処女マリアに、あなたは神の子イエスを妊娠したと告げる。マリアは言った。「どうしてそのようなことがありえましょうか。わたしは処女なのに」
(ルカ福音書1)。
すると天使は言う「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・神にできないことは何ひとつありません」。
キリスト教では「処女懐胎」(しょじょかいたい)または「処女受胎」(しょじょじゅたい)という。精子と卵子が融合し受精卵ができて卵割して・・・という高校の生物の授業で習った話とはまったく異なる超現実的、超自然的な神秘現象が起きたとする。
あれは小学校何年のころだったか、私のクラスメート、つまりわんぱく少年たちが「赤ちゃんはどこから生まれるか?」という議論になった。一人の男の子が「ヘソから生まれるんだぞ」と言った。
ヘソは小さすぎるから無理だろうと反論されると、だから病院に入ってお腹を切ってもらうんだと少年は言った。お尻の穴、肛門誕生説もあった。それはちょっと嫌だなと思った。誰も本当のことを知らなかった。
私もまったくわからなかった。子供ができるとお腹が大きくなるけれど、出産のときパンパンにふくれたお腹が一瞬裂けて赤ちゃんが出てきて、またすぐお腹がふさがるのだろうと思っていた。風船爆発説です。
思うに古代の人々にとって、「処女懐胎」という考え方を受け入れるのは自然なことだったのでしょう。「神の子」をはらむのだから、ふつうとは違うことがあって何の不思議もないと思います。
と思ったら、この現代に自分自身が「処女懐胎」したと信じる女性が、けっこういるらしい。▶米女性200人に1人が「処女懐胎」を告白、調査 2013年12月18日[AFP通信]
この記事によると「この現象が女性のみに限られるのかを調べたところ、『童貞の父』も数人見つかった。さらに理解に苦しむ発見だ」
そういえば私が子供のころ、父が弟に馬鹿な冗談を言った。「お父ちゃんとウルトラマンとどっちが強い?」 すると弟は「お父ちゃん」と答えた。私より3歳下の弟はそのときたぶん父が強いと本気で信じていた。
弟が成長するにしたがって現実がわかっていき、父の地位はどんどん下がっていった。けれどその時は父がウルトラマンより強いと本気で思っていた。それを思うと、古代の人々が何でも率直に信じる感じ、疑うより信じる感じが想像できます。
ところで、神や天使や悪魔を信じますか? ここでいう神は、神道の八百万の神(やおよろずのかみ)ではなく、唯一の創造主であり万能の神であるゴッドのイメージだと思います。ゴッドを神と翻訳してしまったために、日本ではこの問いへの答えが非常に難しくなります。
世界大手の世論調査会社「イプソス」(本社:パリ)が、世界の主要26カ国を対象に行った「国際宗教調査2023」によると、日本は神を信じている人がわずか3%しかおらず、26カ国の中でも群を抜いて少ないことが分かったという。
同じく世界大手の世論調査会社「ギャラップ」(本社:ワシントンD.C.)が、アメリカの成人を対象に行った「霊的存在に関する調査2023」があります。
「あなたは神を信じますか?」と聞かれて、アメリカ人は何%の人が信じると答えると思いますか?
アメリカはGDP世界一の大国で、軍事力も世界一で、科学技術も世界一、医療技術も世界一、IT産業も世界一・・・
そうして物質的な豊かさをめざしてきた国だし、最近は「アメリカファースト」とかいって、自国がファーストであって神がファーストではない。だから、神を信じる人の割合は少ないと思う人があるかも知れません。
違うんです。アメリカ人の74%が神を信じ、69%が天使、67%が天国、
59%が地獄、58%が悪魔を信じているそうです。
ギャラップ社がこの調査を開始した2001年には、「神を信じる」と回答した人が何と90%もあったそうです。79%が天使、83%が天国、71%が地獄、68%が悪魔を信じるという結果だった。
数値だけで見ると、日本は3%しか神を信じる人がいないという話になってしまう。これは夏目漱石の「月が綺麗ですね」という話と同じで、神性、霊性についての感性がかなり違うのだと思います。
日本人の感覚からしたら「友達になろうよ」という申し出は理解できる。ところが「断ったら殺す」というのは、神を信じ愛を信じる人の言うこととは思えない。
熱心なキリスト教信者であったペリー提督が言ったことはそれでした。
そのバリエーションとして「神を信じなさい」というプロパガンダがある。「信じない者は天国に行けない。 地獄に堕ちる」と言われて、「極楽浄土に行くからいいもん」と言って断ったら、「この悪魔め、全滅させてやる」ってことになりかねない。
↑それは1532年のことでした。
ルーカス・クラナッハ(父)が上の『ヴィーナス』を描いたのがこの年です。その2年後の1534年8月15日、ザビエルやイグナチオ・デ・ロヨラたちが「モンマルトルの誓い」をしました。
スペインの宣教師であるドミニコ会修道士ビセンテ・・・フラ・アンジェリコやサヴォナローラと同じドミニコ会修道士がペルー征服の旅に同行した。
片手に十字架、片手に聖書をもってインカ王アタワルパに、 キリスト教を教えるためにここに来たと言った。聖書を手わたすと王は聖書を投げすてた。するとどうなったか、それが下です↓
↑ スペイン王にして神聖ローマ帝国の皇帝カール5世からペルー征服を任されたスペインの軍人・探検家フランシスコ・ピサロ(1470 - 1541)は、
その場にいた数千人を虐殺。インカ王アタワルパをとらえて絞首刑にし、インカ帝国は滅亡しました。それにしてもインカ王の描き方がひどい。知的能力の無い犬みたいに表現している。
↑「家庭教師のトライ」の映像授業。私たちの高校の授業ではこんなことは教えていなかったと思う(私が空想にふけって授業を聞いていなかっただけかも知れないけど)。
あのころは「大航海時代」「新大陸の発見」という西洋中心主義オンリーの歴史観だったと思います。
インカの征服をとりあげて、黒人を奴隷としてアメリカ大陸に運んだことを話題にするところまではいいと思います。でもあとの「テスト」・・・ああやっぱりな、まだこんなことやっているんだ。
インカの征服を知って、あなたはどう感じますか? 何を考えますか? みたいな話にはならない。長谷川式認知症テストみたいなものです。まず何かを見せておいて、さあ何がありましたか?と記憶を問う。そういうのって、歴史を学ぶことではないと思う。
だけじゃない、長谷川式で合格したからといって、認知症になっていないというわけではないとコウノメソッド創始者の河野和彦先生は言われた。私の母がそうでした。私は名古屋市の河野先生の病院に行って、その話を先生から直接聞きました。
「家庭教師のトライ」がこういうテストをされるということは、日本の世界史の授業がまだこんなことをやっているということですね。だったら空想にふけっている方がましかな。

神と銃と民主主義
God snd Guns and Democracy
↑民間人が保有する銃器、つまりピストルやライフル銃を示す表(2017)。アメリカ合衆国がダントツに多い。 アメリカだけが圧倒的な数です。なんと民間人が3億9330万丁もの銃を持っている。
↑アメリカの一般市民が使える銃の威力
不思議だと思いませんか? 神を信じる人が現在でも74%もある。2001年には90%が信じていた。この銃の多さはどう解釈すれはいいのでしょう? 神は信じる者を守ってくれないのでしょうか?
神は「あなたたちの安全まで手が回りません。あなたたちは銃を持ちなさい。自分の身の安全は自分で守りなさい」とおっしゃっているのでしょうか? そんなことはないはず。そもそも「神にできないことは何ひとつありません」
(ルカ 1・36)。

↑人口100人あたりが保有する銃器数。一人あたり1.2丁の銃を持っている計算になります。
会員数約400万人を持ち、保守派に影響力を持つ全米ライフル協会は、2024年5月18日トランプ氏を支持する決定をしました。トランプ氏はこの協会での演説で「銃の所有者が投票すれば、私たちは勝てる」と自分への投票を呼びかけ、民主党政権が進めてきた銃規制を撤廃することを約束しました。
そして2024年7月13日、トランプ氏はペンシルベニア州で演説中にライフル銃による銃撃を受けた。調査会社イプソスとロイター通信が16日発表した世論調査によると、共和党支持者の65%が「トランプ氏が一命を取り留めたのは神の摂理」だと回答しました。
前章(第8章)で話題にしましたが、教皇ピウス11世はムッソリーニのことを「摂理の人」でないかと考えた。キリスト教で「摂理 (プロビデンス)」という言葉を使う場合は、「すべては神の配慮によって起こっている」を意味するという。
これを機に銃を規制しようという気運が盛り上がるかわりに、銃で狙撃されて死亡しなかったことを「摂理」だと言って讃える。世界の国民のなかで、これほど銃を持っている人々はいない・・・しかもその国民の多くが神を信じている、それは異様なことだと思いませんか? 神と銃が矛盾しない。
↑アメリカの人口の4分の1、8,400万人が信仰すると言われる一大勢力「福音派」・・・このキリスト教プロテスタントの非主流派がトランプ氏の支持母体となっているという。
↑トランプ信者を追え 2020/10/25

↑こちらは軍事費ランキング 上位15カ国(2022)[出典:SUPRI Military Expenditure Database 2023より第一生命経済研究所作成]
民間人が自由に銃を持つ社会であるなら、その延長線である国家として、あらゆる兵器のためにダントツ世界一の軍事費を注ぐのは当然のことだと思います。
ただ神は本当に世界を圧倒するほどの武器を持てとおっしゃっているのでしょうか? 福音派というのは、新約聖書を神の言葉として信仰するのだという。だとしたら「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ福音書26)とあることと矛盾しないのでしょうか?
平和のための、防衛のための軍事費であるという理屈なんでしょうが、民間人が所有する銃だって使うじゃないですか。 アメリカでは2023年、銃器の関わる事件で4万2920人が死亡したという。
2020年から2023年、アメリカの子供の死因のトップが銃となった。18%だという。戦場じゃないのに、子供たちが銃で命を落とすなんて・・・オーマイゴッド!としか言えません。(自動車事故が15.2%、がん以外の病気が9.0%、ガンが8.1%)
ローマ教皇に支配されなくてもいいじゃないか、というのがプロテスタント運動だったはず。ローマ教皇に司祭とか列聖(セイントの称号)とか決めてもらわなくていい。そもそも聖書のなかに、教皇の言うことを聞きなさいとは書かれていない。
聖書のなかに「教皇」なんて一行も出てこない。教皇の言うことより聖書に書いてあることを信じよう、それが宗教改革だったはず。だとしたら、聖書のなかに銃を持ちなさい、できるだけ多くの兵器を保有し、ついでに武器を売りなさいとか、アメリカファーストとか・・・私が読んだかぎり聖書にそんな文言はなかった。
↑アメリカ映画『ロード・オブ・ウォー』(2005)。一方でこういう映画を制作できるのはさすがアメリカだと思う。ロシアや中国では絶対に不可能です。日本はどうか?
この映画「世界最大の武器生産国であるアメリカ、イギリス、ロシア、中国、フランスが、国連安全保障理事会の常任理事国5カ国でもある」という声明で終わる。

アメリカン★ウォー★ビジネス
American War Business
暗澹とした気分になります。第2次世界大戦の戦勝国が国連の長であり、そ長たちが世界中に武器を売り、武器を広める。この5カ国が地球上の核兵器のほとんどを所有している。
世界のすみずみまでキリスト教を伝道し、世界のすみずみにまでコカコーラの販路を拡大してきたように、世界のすみずみにまで武器を広める。 善と悪の戦いだ、闇と光の戦いだ、邪悪な悪魔との戦いだ、平和を守るために必要だとか言って。

↑[©spaceglow 市川敏朗] 青色の棒グラフが武器輸出額。赤い棒グラフが輸入額。アメリカが突出している。次いでロシア。ただし、これは2015年のデータであって、現在はロシアは減少。
▶2022年度のデータはこちら(グローバルノート - 国際統計・国別統計専門サイト)
ウクライナ戦争の影響でロシアの武器輸出が減少、ますますアメリカが一人勝ち。

一方、人類の歴史で初めて、貪欲きわまりない武器貿易を国際的に規制しようという運動が1997年から進行しました。 ノーベル平和賞を受賞したグループと民間活動家が中心となって国連に提案しました。2009年、コスタリカのオスカル・アリアス大統領(ノーベル平和賞受賞者)は、 国連でこう語った。
平和は依然として一歩先にあります。核兵器と通常兵器は、約束にもかかわらずまだ存在しています。 20年後に私たちが今日と同じ恐怖のなかで生きることのないようにするのは私たちの責任です。
世界最大の武器商人がここに代表として来ていることを私は知らないわけではありません。 しかし今日私が話しているのは武器製造業者ではなく、利益よりも原則を優先し、最終的に私たちが安らかに眠れる未来の約束を実現する責任を持つ人類の指導者たちです。
「世界最大の武器商人」というのは、もちろんアメリカのことです。大統領が「約束 the promises」とおっしゃっているのは、たぶんキリスト教でいう神の約束のことを暗示されているのだと思います。クリスチャンならピンとくると思います。新約聖書にも「平和」についてこんな文言があります。
何事にも思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に申し上げなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平和が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスが守ってくれるでしょう。『フィリピの信徒への手紙』4:6-7
「聖書を信じるクリスチャンです」と聞いたら、使徒パウロの上のような言葉を信じていらっしゃるのだと思うじゃないですか。まさかそのかたがピストルをお持ちだなんて考えられない。武器輸出に積極的なトランプ氏の応援に出かけて「USA
USA USA」を連呼されるなんて、信じられない。
ともかくそうして2013年4月2日、『武器貿易条約』が国連総会で圧倒的多数で採択されました。現代史に名を残す画期的なことであったと思います。
共同提案国として主導した日本が賛成するのは当然として、当初反対していたアメリカも賛成しました。
通常兵器が大量殺害やテロリズムに利用されることを予防・根絶するために、通常兵器の国際移転(移譲)を規制する。

武器貿易条約
Arms Trade Treaty
↑武器貿易条約に関する国連総会の投票に関する地図。[L.tak, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons]
賛成(緑):156か国
反対(茶色):3か国(北朝鮮、イラン、シリア)
棄権(黄色):22か国(中国、ロシア、インド、インドネシア、キューバ、エジプト、ミャンマー、ニカラグア、サウジアラビア、スーダン等)
無投票(水色):アルメニア、ドミニカ共和国、 ベネズエラ、ベトナム
このニュースが流れたとき、ホモサピエンスはとうとう進化のこういう段階に来たのかと感動しました。というのも、このテの世界地図は、大英帝国やモンゴル帝国、ローマ帝国、ペルシャ帝国等が侵略した広大な領土をを示すものだったりします。
この地図は驚きです。こういうのは見たことがありません。こんなに多くの国々が武器貿易条約に賛成した。何か明るい未来が見えてきたような気がしました。
この条約を推進していくリーダーだったアリアス元大統領(1940 -)は、のちに次のように書いています。
2014年10 月にこの文章を書いている今、私たちが困難を乗り越えたことを誇りに思うと同時に、心から安堵しています。
私たちは歴史を作ったのです。武器貿易条約は、2013年4月2日に国連総会の大多数の賛成により採択されました。
暴力の歴史をふり返り、私たちは平和に向けて力強い一歩を踏み出しました。歴史上初めて、法的拘束力のある文書によって通常兵器の国際移転に関する共通の規制枠組みが確立され、その結果、これまでいかなる規制も逃れてきた数少ない世界貿易の分野の1つである武器取引の普遍的な法的基準が確立されました。
この条約には、人々の苦しみを軽減し、国際平和、安全、安定に貢献する力があります。正直に言うと、これは私が目撃するとは思ってもいなかった偉業です。
何年も前に形になったアイデアが、私が生きている間に国際法の一部になるとは思ってもいませんでした。
その6年後の2019年4月27日、トランプ大統領(第1次トランプ政権)は、この『武器貿易条約』からの離脱を表明しました。
全米ライフル協会は、この『武器貿易条約』は国際的な銃規制に相当し、アメリカの憲法修正第2条に定められた武器所持の権利を脅かすものだとしていました。
その全米ライフル協会の支持を受けているトランプ大統領は、この協会の年次総会に出席し「外国の官僚が、武器を保有するあなたたちの権利を踏みつけることを決して許さない」と述べ、この条約からの離脱を報告しました。
人権団体「オックスファム・アメリカ」のアビー・マックスマン代表はこんなふうに非難しました。「アメリカは、罪のない人々を致死的な兵器から守ることを唯一の目的とするこの歴史的な条約の非署名国であるイラン、北朝鮮、シリアと手を組むことになる」。
「ならず者国家」という言葉を初めて使ったのは、クリントン大統領だった。
彼はイラク、イラン、北朝鮮、リビア、シリア、スーダン、キューバの7カ国を「ならず者国家」として認定した。
トランプ大統領も2017年に国連総会で、北朝鮮やイラン、ベネズエラなどを「ならず者国家」と呼んで非難した。

が、突出した世界最大の武器輸出国が『武器貿易条約』から離脱するということは、なんだかんだ言っても、世界平和より武器を売ることが大切なんだということが明らかになった。
ロシアと中国が棄権するような条約なんて意味ないじゃないかと言い訳もあったけれど、もしトランプ大統領がお得意の強引なやり方とか、脅しを使ってこの2国を説得することは可能だった。
そしてアメリカが「ならず者国家」と呼んできた国と肩を並べる、というか同じ立ち位置になってしまった。
それもそのはず、アメリカの軍需産業はあまりにも規模が大きい。2023年のアメリカの「防衛関連企業」つまり軍需産業の、上位100社の総収益は6,320億ドルに達したという。6,320億ドルって約98兆円かな、とんでもない額、日本の国家予算なみです。(2024年度の日本の国家予算は、一般会計の総額が約113兆円)
収益上位5社はロッキード・マーティン、レイセオン、ノースロップ・グラマン、ボーイング、ゼネラル・ダイナミクスだという。母は生涯「グラマン」を許さなかった。母と幼い弟(私の叔父)をねらって執拗に機銃掃射した。自分たちを虫けらのように殺そうとしたグラマンの兵士の姿が眼に焼きついて離れないと母は言った。
でもそれが戦争じゃないか。そういうことを本気で無くしたいのであれば家族(特に私)に言うだけでなく、世の中のひとに自分の戦争体験をもっと知ってもらったどうかと言ったら、母は「私なんかよりもっと悲惨な戦争体験をした人が山ほどある。私なんかがでしゃばる余地はない」とか言ってしりごみした。
ずっとしりごみしているうちに母は認知症になり、自宅介護1年9か月を経て、約9年介護施設でお世話していただいて去年亡くなった。かつて私に大東亜戦争の体験を語ったひとは、今はもう一人も残っていません。
そうそう私が学んだ茨木市の春日丘高校の屋上にも機銃掃射の弾痕が残っていた。グラマンに攻撃された当時は大阪府立茨木高等女学校だった。周囲は田園地帯だったでしょう。
そんな学校まで攻撃した。あの校舎は老朽化して、とっくに建て直したでしょうが、あの弾痕跡どうしたかな?
その部分を切り取ってモニュメントとして校庭や校舎に残したら、歴史勉強のための貴重な教材になったと思う。 いや、それは余計なことか。歴史は暗記科目なのでそんなこと必要ないか。中間テストや期末テストや大学受験のことを考えたら何の役にも立たない。
テストに出ない、そういう意味で何の役にも立たない絵があります。例えばこれがそう(こんなもの学校で教えない)↓

神秘の磔刑
Mystic Crucifixion
↑[Sandro Botticelli, Public domain, via Wikimedia Commons]
これがボッティチェリ? ルネサンスを象徴する画家ボッティチェリの『神秘の磔刑』。制作年代は1497年から1502年。
ドミニコ会修道士サヴォナローラの影響が強い。世界で最も有名で、最も人気のある絵『ヴィーナス誕生』や『プリマベーラ(春)』のあの開放的で官能的な雰囲気は全く消え失せた。
なんだか教訓めいた楽しくない絵です。私が注目したいのは十字架のイエスの足もとに広がるフィレツェの街↓

これって会田雄次先生の文庫版『ルネサンス』の表紙の写真そのままです↓

会田先生がこの写真を選ばれたのかどうかはわかならない。編集部の選択かも知れない。大きなドームが目立つサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が採用されている。 それは「花の聖母マリア」を意味します。

↑サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とフィレンツェの街(2009)。[Amada44, CC BY 3.0 , via Wikimedia
Commons]
ルネサンス、あるいはそれ以前の中世ゴシックの雰囲気が残っていることに心惹かれます。フローラに由来する「フィレンツェ」という言葉の響きだけで、青春の甘酸っぱい夢あこがれがよみがえってきます。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、1296年に建設が始まり完成まで140年以上もかかった。それは1436年3月25日の受胎告知の祝日だった。
聖堂の完成の奉献式のためにフランスのギヨーム・デュファイ(1397 - 1474)が作曲した『最近薔薇が咲いた』が奏でられた。その時、ギヨーム・デュファイ自身も歌った。
↑『最近薔薇が咲いた』はYouTubeにたくさんアップされていますが、これを選びました。動画の説明はこうなっています→「フィレンツェのブルネレスキのサント・スピリト大聖堂で、フィレンツェ合唱コース2024の生徒によって演奏されました。
トム・ハモンド・デイヴィス指揮 2024/07/12」
この作品のタイトルは、大聖堂の名前「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」、つまり「花の聖マリア」に由来している。 教皇エウゲニウス4世(1383年
- 1447 在位:1431 - 1447)が大聖堂の主祭壇を飾るための金のバラを寄贈した、そのこともかけているのでしょう。
1436年、フィレンツェの外交官で人文主義(じんぶんしゅぎ/ルネサンスヒューマニズム)の学者であったジャンノッツォ・マネッティ (1396–1459)
は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の奉献式に出席しこう書いています。
そのハーモニーは天にも昇り、まさに天使や神のメロディーのようでした。 その声は、とても素晴らしく甘美な響きで聴衆の耳を満たし、まるで伝説のセイレーンの歌声を聞いた人間のように、聴衆は茫然自失になったようだった。
さぞかし素晴らしい演奏であったのだろうと想像します。が、それから42年後の1478年4月26日、こともあろうにこのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の大ミサの最中にメディチ家兄弟が襲撃されました。
ボッティチェリとは親友というか兄弟のような仲だったという25歳の弟ジュリアーノ・デ・メディチ(1453 - 1478)は死亡。 メディチ家の若き当主であり、事実上のフィレンツェの統治者である兄ロレンツォ・デ・メディチ
(1449 - 1492)は、トランプ大統領のように間一髪で難を逃れた。
↑世界史で「パッツィ家の陰謀」と呼ばれる。メディチ家をつぶそうとするクーデターでした。メディチ家のライバルの パッツィ家が企てた。
会田雄次先生も著書『ルネサンス』でとり上げられていますが、黒幕に関しては言及がなかった。たぶん執筆の時点では黒幕の研究が充分でなかったのかも知れません。近年、というか2004年に黒幕についての重要な研究が発表された。その日本語訳が下↓

ウルヴィーノ公国の君主モンテフェルトロとローマ教皇シクストゥス4世が交わした秘密の暗号文書を解読したというんです。彼らがこの暗殺事件の黒幕だった。それまでから教皇の関与説はあったけれど、500年後に実証された。

↑ボッティチェリと並ぶ初期ルネサンスを代表する画家ピエロ・デラ・フランチェスカ(1412年 - 1492)が描いたモンテフェルトロ。[Piero
della Francesca, Public domain, via Wikimedia Commons]
ホオのできものまで、ちゃんと描く写実主義。きっと鼻も誇張ではなく、このカタチだったのでしょう。美化せずそのまま描いた、というか描かせた。鉤鼻を目立たせたくなければ、正面から描けばいい。
で、恐ろしいのはこのモンテフェルトロという人は、ロレンツォ・デ・メディチと盟友関係にあった。友だちのふりをして、ローマ教皇と暗殺の密談をしていたことになる。まあ世の中そんなもんだといえば、そうかも知れないけれど。
ともかくこの暗殺事件で、肝心のロレンツォ・デ・メディチを殺すことができなかった。首謀者であるパッツィ家の人々が死刑された。 主犯の一人が絞首刑にされた様子をレオナルド・ダ・ヴィンチがスケッチしています↓

こんな話題やめて、もっと楽しいことを書こうかと思った。昆虫や鳥や薔薇のことなら、楽しんで書ける。この葛藤、高校1年生のときからあった。当時は公害問題、環境汚染の問題と、自身のゼンソクに悩まされていた。美術はただキレイであればいいのか、何でも美化すればいいのか?
しょせんキレイゴトなのか? それとも醜い現実から眼をそむけないで、それを超えたもっと深い美を見出していくことが画家がめざすべきことなのだろうか? でもそもそも美とは何だろう? 会田雄次先生の『ルネサンス』に驚くべき言明があった。

ルネサンスを研究するということは、美と創造と愛と感謝の世界の中へはいっていくことだ、とは書かれていなかった。「荒涼たる世界の中へ」と書いてある。
『世界の歴史』第12巻が「ルネサンス」だった。では全24巻のどの巻が、美と創造と愛と感謝の歴史だろう?
どの巻が「荒涼」でないのだろう? 憂鬱な気分になった。何かがおかしい。何かが狂っている・・・
