『考える人 vs 菩薩』
The Thinker vs Bodhisattva

第4章

広隆寺金毘羅大将
Kumbhīra in koryu-ji temple

この金毘羅大将も、Web上にほぼ情報共有がなされていません。このインターネットの時代に検索して何も出てこないなんて不思議です。仏像本にあたればあるんでしょうが。海外の人は、こういう画像を見つけることができないと思います。

日本を訪問する多くの外国人はネットの情報を見て行き先を決めるようですが、京都広隆寺に行けばこういう神像・仏像を見ることができるよ、ということがわからないと思います。

上は京都広隆寺にある十二神将の一体、金毘羅(こんぴら)大将。または宮比羅(くびら)大将。 「こんぴら」も「くびら」もサンスクリットの「クンビーラ(Kumbhīra)」の音写。クンビーラは元来、ガンジス河に生息するワニを神格化した水神だという。

↑1993年、ガンジス河の聖地ベナレスを訪ねたとき、この少年がこぐ小さな船でこの大河を遊覧しました。 「ベナレス」はイギリス植民地時代の呼び名で、サンスクリットでは「ヴァーラーナシー」、ヒンディ語では「バナーラス」。

ベナレスが言いなれているので、ここではベナレスのままにしておきます。ベナレスには1週間滞在しました。インドの歴史の長さ、精神文化の奥行きの深さを感じる古都でした。 ゴータマ・ブッダもここを歩き瞑想し教えを説いた。

早朝に沐浴し祈る人。実は、水はきれいとはいいがたい。牛や水牛も水浴びして、おしっこもするし大きな糞もバサッとする。日本人はそれを見ると沐浴のまねごとをやめる。かの地の人々はそんなこと気にしない。


↑【復刻】ベナレスの牛 in India 1992


↑ベナレスの街のこと少し書きました。

私を手招きする青い眼のサドゥーがいました。隣に座れと手招きする。何だろうと思ったら、この河にはイルカがいるという。 河にイルカがイルカ?? ほらあれだと指さす方向を見ると、何とイルカが頭をもたげた。

↑「ガンジスカワイルカ」の写真がWikipediaにアップされていました。動物園のイルカとは口が違う。この口で嚙まれたら痛いかも知れない。
[Kukil Gogoi, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons]

サドゥーとはヒンドゥー教の放浪の修行者やヨーガ行者のことで、インド全域とネパールに400万人から500万人のサドゥーがいるらしい。インドならでは文化ですね。青い眼のサドゥーは初老の男性でしたが美しい顔立ちで、落ち着きと静寂がありました。

でも一緒に座っていると、何か孤独というか寂しさのようなものを感じました。別れるとき少し悲しそうに見えたのは、私の思い過ごしかも知れないけれど。

ワニは見なかった。 インドに生息するワニは「インドガビアル」という品種だそうですが、今はもう絶滅危惧種になっている。

↑ガンジス川のワニは、アマゾンに生息するワニと違って極めて大人しく安全だという。動物園で見るワニの牙はもっとすごい。インドガビアルの口はガンジスカワイルカの口に似ている。Wikipediaの写真です。[Charles J. Sharp, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons]

「金毘羅大将」に戻りますが、彼は薬師如来とその信者を守護する武神「十二神将」のリーダーです。残念ながらこの金毘羅大将も十二神将も使えるものがありません。パブリック・ドメイン化(交有化)されている画像がありません。交有化されていない画像もほぼない。

代わりに奈良新薬師寺の素晴らしい十二神将をアップしようと思ったら、パブリック・ドメイン化されているのは下の画像だけでした。[小川晴暘(1894-1960) 仏像写真家 飛鳥園創業者) Ogawa Seiyou (1894-1960), a famous photographer in Japan, Public domain, via Wikimedia Commons]↓

↑私は20代前半に新薬師寺に何度も足を運びました。十二神将のたたずまいがものすごい迫力で圧倒的に素晴らしい。ご本尊の薬師如来よりそれを守護する十二神将たちの方が素晴らしい(そんなこと言ったら怒られる)。

それにしてもこんな画像しか世界に発信できませんか? これ1942年に撮影された写真じゃないですか、しかもかなり古い本に印刷されたものをスキャンしたのかな。あまりにお粗末で恥ずかしい。金毘羅大将や十二神将を話題にしようと思ったんですが、またにします。気持ちがくじけました。

上の金毘羅大将の説明文として京都大学の歴史学の教授、柴田実先生(しばたみのる 1906 - 1997)の「許さじ! 平和を乱すもの」と題した一文が掲載されています。

目に見えぬヴィルスをとらえ、抗生物質を見出した現代医学の進歩はかつては薬師の慈悲に帰せられた病苦からの救済を着々実現しつつあるとはいえ、社会の貧困と文明の爛熟は却って新しい疾病を次々と生み出して来ている・・・・・

それとも又、それは医学の恩恵を万人に行きわたらせることのない現代政治の貧困や、 平和を希求する善良な国民の上に死の灰や放射能の雨を降らせようとする一部の人間に対する激しい怒りを表したものというべきであろうか。

敗戦後10年という時代に書かれた文章が、今の時代にそのまま使えるというのは、いったいどういうことでしょうか?

2019年に発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によるパンデミックが終息しないうちに、2022年2月24日にロシア連邦によるウクライナへの軍事侵攻が始まりました。

プーチン大統領とメドヴェージェフ前大統領はたびたび核兵器の使用をほのめかしています。ひとつ間違えると核戦争や第3次世界大戦を招くことになりかねません。

核を使用したら、核で反撃されるから核を使うことはありえないと分析する軍事評論家や政治家がいますが、歴史はありえないことの連続であったはずです。というか、別に過去の歴史を勉強しなくても、今現在起きていることが信じられないことばかりだと思う・・・

↑ビキニ環礁水中核実験(1946)。[United States Department of Defense (either the U.S. Army or the U.S. Navy), Public domain, via Wikimedia Commons]

太平洋中西部に位置するマーシャル諸島(ビキニ環礁を含む)は無人島ではなかった。歌ったり踊ったり愛したり、裸にちかい姿で平和的に暮らしている人々があった。フルーツが豊富で、魚はいくらでもとれた。

まずスペインが支配、次いでドイツ、第1次世界大戦後は大日本帝国が支配。1944年帝国軍はアメリカ合衆国軍の攻撃によって玉砕。

以後アメリカ合衆国が統治するなかで、1946年から1958年まで67回もの核実験を行いました。67回って、ひど過ぎませんか? 地球に対する巨大な犯罪ではないでしょうか? 

1954年3月1日に、アメリカが炸裂させた水爆は、広島に落とされた原爆の1000倍の破壊力だったという↓

↑[United States Department of Energy, Public domain, via Wikimedia Commons]

静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船「第五福竜丸」はこの水爆実験により被ばくしました。 柴田実先生の「許さじ! 平和を乱すもの」というタイトルは、このことを指しています。

爆発によって砕けた珊瑚の粉塵はキノコ雲に吸い上げられ、放射能を帯びた「死の灰」となり周辺の海や島々に降り積もりました。 放射能は広範な海と大気を汚染したのです。

実験場とされたビキニ環礁とエニウェトク環礁をはじめ、多くの環礁や島が被害を受けたとされていますが、 アメリカ政府はビキニ、エニウェトク、ロンゲラップ、ウトリックの四環礁以外の被害は認めていません。

人びとの間ではガンや甲状腺異常、死産や先天的に障がいを持つ子どもが生まれるなど、被害が現れています。 また、いくつかの環礁では故郷の島に戻ることができません。 (東京都立第五福竜丸展示館


↑マーシャル諸島 プロジェクト4,1 「人体実験疑惑」

[質問者] 次の世代にどういうことを伝えたいですか?

[大石又七]  やっぱりね一番大事なのは 歴史をきちんと勉強するということは大事だと思います。放射能が怖いものだということは、ビキニ事件でわかってきていた。

科学が進むという大事なことと、それにともなってマイナスのことが発生することの大切さを勉強して ほしいなというふうに思います。

[ナレーション] 「まだ伝えたいことがある」こう言い残して亡くなった大石さんが命をかけて伝えようとしたビキニ事件の真実とは。 そして第五福竜丸の悲劇の裏にあったアメリカの人体実験疑惑に迫る。

このとき「キノコ雲は34キロメートルに達した」。オゾン層は、地上から約10~50キロメートル上空の成層圏にあります。オゾン層は太陽光に含まれている有害紫外線を吸収することで地球上の生物を守っています。

つまり核実験したり核戦争が起きると、核爆弾が落とされたエリアの住民が悲惨な目にあうだけでなく、オゾン層が破壊されることによって、地球人みんながガンなどの障害が増える。

核戦争はどこか遠くで起きるであろう他人事ではすまない。地球全体の危機です。人類全体に危機が及び、全生物に危機が及ぶ。
▶「オゾン層および大気圏外での核実験」(村本尚立氏)


↑米国・ロシアの核戦争シュミレーション

中道寺増長天立像
Zōchō_Ten in Chudo-ji temple

京都府北桑田郡京北町弓削中道寺(現京都市右京区)の増長天。藤原時代(894 - 1185)の作。 この増長天もインターネット上に見当たりません。どうしてなんでしょう?

インド神話に登場する雷神インドラ Indra(帝釈天)の配下・ヴィルーダカ(Virūḍhaka)が、守護神として仏教に取り入れられた。 発芽する穀物を意味するサンスクリットに由来するので、「増加」や「成長」を意味する名前なのだという。

立命館大学の末川博総長(1892 - 1977)が「ビキニをにらんで」という一文を寄せておられます。

ビキニの辺りをにらんで「誰だ、ケチくさい水爆の実験などやっているイタズラ者はやめろ」とどなっているかっこうでもあろうか。

末川総長は梅原猛先生の対談集『現代の対話(1966)』でこんなふうに発言されています。

バートランド・ラッセルが1924年出版の『科学の将来』という本に書いているのをよく話すのですが、人間は頭(ヘッド)だけでいまの現代科学をつくり出したけれども、心(ハート)は、キリストや釈迦や孔子などがいろいろと教えた人間の道に沿うておらず、むしろどん欲で悪くなってしまっているところに、問題があるとして、科学の将来を憂慮していたのであります。

すなわち、人間の頭が生み出す科学は無限の可能性を持っていて、それは、原水爆その他の絶対兵器を作り出す危険がある。

だから、そういう頭に並行させて心を高めていくよりほかに人類を幸せにして救う道はない。まあそういうふうに考えねばならぬのでしょうね。

当時、立命館大学の先生をされていた梅原先生はこう答えられた。

個人的な人間関係では、ハートの必要がわかるのですが・・・国家間の問題となるとハートというものは無くてもいいような考え方が非常に多い。


現代科学を生み出すために、アタマの緻密な集中が必要だった。科学の応用として産業革命が生まれ、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、パソコン、自動車、高速道路、都市、飛行機が生まれた。素晴らしい成果だった。

けれど機関銃、戦車、戦闘機、戦艦、潜水艦、毒ガス兵器、細菌兵器、原子爆弾も生みだされた。そうして今だに人類は殺し合いをしている。剣や弓矢で戦っていた時代ではない。 ミサイルが飛んできて、あっというまに病院、学校、スーパーマーケット、ダム、橋、発電所を破壊する。




科学はこれほど進歩し、科学技術がこれほど進歩し、これほど豊かな世界を築くことができたというのに、まだ野蛮な殺し合いをやめられない。 誰もこれをとめることはできない。どちらの陣営も自分こそ正義だと主張しあっている。国連はまったく役に立たない。分裂している。




古代文明の時代からおなじみの「ユダヤ vs イスラム」や「パレスチナ vs イスラエル」対決ではなく、今回の戦争は「人間性 vs 非人間性」対決、「善 vs 悪」対決であるとヘルツォグ大統領は言う。

けれどガザ地区に住む上の女性にとってみたら、悪いことをしていない罪なき子供をまきぞいにして死亡させておいて「悪との戦い」も何もあるもんか、「心ある人はいないのか?」「人道はどこにあるのか?」と叫ぶ。

この女性にとってみたら、イスラム教もキリスト教もユダヤ教も関係ない。子供や夫と幸せに生きていきたいだけなのに。守ってくれる人はどこにもいない。まともな人間はいないのか? 人間性はどこにあるのか?と問う。

女性のこの叫びは古今東西、人類の歴史に連綿と続いてきた普遍的な叫びでもある。子供を殺された無数の女性たちが同じことを叫んできた。

イスラム原理主義組織ハマスは2023年10月7日、突然テロ攻撃を開始した。この攻撃でイスラエル側で1,300人以上が死亡し、パレスチナ側1,100人が死亡したという。そのとき女性と子供を含むイスラエル国民250人以上が人質に取られた。

↑イスラエル人のハダス・カルデロンさんの母親は10月7日のテロで虐殺され、彼女の2人の子供と夫は誘拐され、ガザに連れて行かれた。[credit: Maayan Toaf, Israeli Government Press Office, CC BY-SA 3.0]

耐えがたい苦しみ悲しみ、胸が張り裂けそうな思いで家族の帰りを待っておられることでしょう。なぜ神を信仰する人たちが、こんなひどいことができるのでしょう。どうしてこのような女性たちを苦しめるのか・・・それも古今東西、人類の歴史に連綿と続いてきた普遍的な現実です。

歴史の先生はそのことを問題にせず、話しあうことに時間をさかず、中間テストに出題されるポントを重点的に教え暗記をしいるだけですが。それは半世紀前の私たちの歴史授業の話であって、今はきっと違うと信じたい。


イスラエル側から見たら、イスラムの人たちが「怪物」に見えるけれど、イスラムのひとたちから見たらイスラエルの人たちが「怪物」に見える。こうして怪物 と 怪物がずっと争ってきた。

剣と弓矢で戦ってきた時代からずっと。そうしてアタマのいい人たち、5段階に分別されたなかでも最上級の人々が、知力をしぼってより強力で残酷な兵器を生みだして、お互いを破壊しあうことに貢献してきた。

今や自分たちだけの破壊ですまないかも知れない。人類の滅亡につながる可能性がある。多様な生物をまきぞえにして。ずっとまえから、そのことたくさんの人が警鐘を鳴らしてきた。 フクシマもそうだった。「想定外」というけれど、たくさんの人が想定して警鐘を鳴らしてきたが、立場のある人たちは耳を傾けなかった。

インドに旅立つ
Departure to India

↑1992年2月、私は散歩派の友人たちに別れを告げ大阪から離陸。インドに旅立ち、まずはマハラシュトラ州プネー市に滞在しました。これはプネー市の騒々しい中心街。街の小さなマーケットで服やズボン、カバンを買った。上から下までそのいでたち。

想像していたところと違いすぎる。騒々しい。大阪の方がずっと静かだと思った。空気が悪い。大阪の方が空気がきれいだと思った。粗悪なガソリンを使っているのか、車の排気システムが悪いのか。それにほこりっぽい。そのとき乾季で毎日毎日晴天、まったく雨が降らないから砂ぼこりがまう。

宿泊した安ホテルはシャワーはあっても故障中。というか修理する気はないらしい。「ノー・プロブレム」と言ってニヤニヤ笑って首をふる。私は怒らない。なぜってここは偉大なるゴータマ・ブッダ・・・日本の価値ある文化の多くはゴータマ・ブッダに由来する。ここはゴータマ・ブッダの聖地じゃないか。


↑旅の初めに選んだのは、マハラシュトラ州プネー市のオショー・コミューンだった。現地では「ラジニーシ・アシュラム」と呼ばれていた。「アシュラム」って、日本語では「道場」とか「修行施設」と訳される。

インドには様々なアシュラムがある。「シュリ・ラマナ・マハリシ・アシュラム」「シバナンダ・アシュラム」「マハトマ・ガンジー・アシュラム」等々、きりなくある。

ラジニーシ・アシュラムに入るためには「マルーンローブ」と呼ばれるこのような赤系のローブを着衣しなくてはならない。日本の禅堂ではありえない色。でも私はうれしかった。 私は白黒の水墨画よりカラフルな西洋絵画を好んだ人間です。黒衣を着るより、なんだかうれしい。

↑私が抱いているこの子、宇宙人じゃないんです。耳がすごく大きくて眼が青い。ものすごく可愛いネコと出会った。このアシュラムで。なぜかこの子が私になついた。

このコミューンというかアシュラムは、当時世界中からヒーラー、セラピスト、心理学者、精神療法家、代替療法家、画家、ミュージシャン、ダンサー、瞑想者、哲学者が集まっていた。ドイツ人、イギリス人、イタリア人が多かった。が、私は初めにこの子と遊んだ。

↑私のアタマにあるのはハイビスカス。ブーゲンビリアや火炎樹(グルモアツリー)の花も美しかった。熱帯の鳥たちのさえずりが賑やかだった。赤いローブは一度洗ったら色が落ちた。

このアシュラムには当時、50人ぐらいの日本人が滞在していた。会ったことはないけど、あと50人ぐらいの日本人が周辺で暮らしているとも聞いた。それプラス、数日ですぐ帰る「精神世界ツアー」の団体さんがときどきやってきた。当時そんなスピリチャルツアーがはやっていた。

ここに滞在するか巡礼の旅をするべきか。このアシュラムに長く滞在している評判のいい日本人女性セラピストがいて、そのかたの個人セッションを受けてみることにした。

彼女のことを「Y先生」と書きたい。Y先生は言われた。「ここは日本じゃない。インドのアシュラムなのよ。窮屈な日本のルールは忘れなさい。だから敬語はいらないよ」。

すぐには「敬語」をやめることはできなかったけれど、超むずかしい日本語「そんけい語・けんじょう語・ていねい語」を使わないと、そうか、上下関係がなくなる。

これって言葉によって支配=被支配の関係を作っていたのかと気づいた。というわけで「Y先生」と書きたいところですが、先生への敬意を込めて「Y」にしておきます。

Yは、私の足にふれて時間をかけて私の内なる男性性と女性性をリーディングしたり、私のチャクラをリーディングした。何か聞きたいことがあるかと問われて私は言った。

「私は約10年間、アタマばっかり使ってデザインの仕事をしてきた。ハートが凍りついていると感じている。長らくハートを使っていないと思う。こんな自分が、どうしたらアタマではなくハートで生きることができるんでしょう?」

するとYは言った。「あなたは自分のこと、アタマがいいと思っているでしょ。でも、はっきり言ってあなたアタマ悪いわよ」

やられた。そこまではっきり言われると思っていなかった。でも大阪の友人SY君から、以前にも同じことを指摘されたことがあった。

「香山さんは一見知的に見える。知性的に語るから賢いのかと錯覚させてしまう。でも語り口が賢くみえるだけで、話の中身をよく考えてみると、賢くないことがわかった。香山さんの言ったことをよくよく考えてみると、アタマが悪いとしか思えない」

Yが言ったことは、SY君が指摘したこととまったく同じだ。わかる人にはわかる。私の馬鹿さ加減が。

私だって自分がアタマがいいとは思っていない。アタマがいいと思って生きてきたわけではない。アタマがよければ成績優秀で、まったく違う人生があったと思う。

成績に結びつかないことばかりに情熱をそそぎ、お金にならないことばかりに必死になるから、こうして仕事を辞めてまでインドに来ているんじゃないか。いったいこれからどうしたらいい? アタマがいい人がこんな馬鹿なことするかな? 

言われなくてもわかってる、自分が馬鹿者だってことぐらい。Yは言った。アタマは悪いけどハートはいいわね。 ずっとここで暮らしたらいい。 あなたが探してきたものが、きっと見つかるわよ。

私はこのアシュラムに滞在することにしました。髪が伸びてきて、このあと後ろでくくるようになった。長くいてビザを延長しなくてはならなくなり、わざわざ遠い日本に帰るよりネパールに行ってインドビザを取った、そのときベナレスに寄った。ベナレスから3泊2日インド国鉄に乗ってアシュラムに戻りました。

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考える人 vs 菩薩 目次
The Thinker vs Bodhisattva Index
頭頂眼+松果体+第三の眼
Parietal eye+Pineal gland+Third eye
京都市立芸術大学創始者・田能村直入
Founder of Kyoto City University of Arts
Tanomura Chokunyu