OSHO ティアス パーク in インド共和国マハラシュトラ州プネー市 1993

OSHO、現代文明の失敗について語る

人間は文明を通してきわめて醜くなった。
文明は本当は祝福ではなく、呪いであることが判明した。
私たちは遅かれ早かれ
別の種類の文明を試みなければならない。
それも早ければ早いほどよい。
 
なぜなら、私たちが今日まで試みてきたこの文明は
失敗が運命づけられているからだ。
それは既に失敗している。
単に崩壊するのに時間がかかるだけだ。
それは巨大な構築物なので、崩壊するのにも時間がかかる。

この文明が失敗したのは、それが自然に対立してきたからだ。 
人間は自然に対して極めて傲慢な態度を示してきた。
彼は自然を征服しようとしてきたが、それは全くばかげている。
私たちは自然の一部だ。

その私たちがどうして自然を征服できるだろう? 
私たちは自然そのものだ。 
自然と戦うことは自分と戦うことだ。 
それはあまりにも愚かしく、あまりにも自殺的であり
どうして人間がその様な罪を犯すことが出来たのか
のちの世代の人達は信じることが出来ないだろう。

人間はもう一度どうやって木々と、森と、山々と
海と親しくなるかを学ばなくてはならない。
私たちはもう一度どうやってそれらと
友達になるかを学ばなくてはならない。
人間は自然に対立するのではなく
自然とともにあって始めて歓びに満ちて生きることが出来る。 
自然に対立したとたんに
私たちの愛のエネルギーは憎しみに変わってしまう。  

もし私たちが自然とともに
全面的な調和の内に流れることができるなら
愛は育ち、成熟し、さらに統合されたものになるだろう。  
愛の成熟は人生で最大の贈り物だ。
成熟した愛を知ることは神を知ることだ。
なぜなら、それは喜びをもたらし、自由をもたらし
祝福をもたらすからだ。

OSHO「Won't You Join The Dance!」

文明化すればするほど、人間は病的になる。
それでこんな規準ができあがる・・・
狂人が少ない国ほど、文明化していない。

一方、国民のなかに狂人が増加し、誰もが正気を失い
精神分析医のもとにでかけるようなら
その国は世界で一番文明化した国だ。

もしどこかに文明の頂点を極めた国があったら
その国の人々はみな狂気に陥るだろう。
文明はひとを狂気に駆り立てる。

なぜなら文明は人に自然な自己を許さないからだ。
すべてが抑圧されている。
そして抑圧によってすべてがそこなわれる。

自然に呼吸することさえできない。
その他のものは言うにおよばずだ。
呼吸さえも不自然になる。
深く呼吸することができない。
なぜなら社会が深い呼吸を許さないからだ。

OSHO「Vigyan Bairav Tantra」

OSHO ヴァン・ゴッホ・スタジオ 1993



[復刻版]OSHO ティアス パーク

約20年まえ(2000年7月21日)に作った記事を復刻します(2020/01/24)。
私たちが行ってきたガーデニングの原点がここにあります。

インド・マハラシュトラ州プネー市にあるOSHOコミューン
隣接するOSHOティアスの夜明け
この時刻、ガーデンに人影はない
あるとすれば座って目を閉じて
内的なスペースをみつめる人
鳥たちの声に耳をすまし
足の裏の感覚や呼吸を意識しながら
ひっそりと静かに散歩する人

惑星地球の回転により
刻々光の角度も質も変化し
大地も空気も変化する
植物や鳥たち蝶たちの表情も変わる

一日の様々な変化のなかでも
曙光前後のつかの間
ガーデンはとりわけ美しく見えた

毎日毎日あきることなく
このガーデンを散歩した
様々な植物たちの多様な存在様式
多様な表現・・・ 美術館のように思えた
額縁にはまらない 生命の美術館

噴水のなかに曙光が溶けとんでいく美しさ
それをとらえるにはコンパクトカメラでは限界があった
いやどんなカメラでも不可能だと思った

樹々の枝葉から射しこむ曙光もそう
カメラではあまりにも矮小化されてしまう
無限のニュアンス、無限の奥行きが
写真では撮れない

けれど1992年から93年にかけて
たくさんの写真をここで撮った
これらの写真を見ると
あのときのガーデンの空気の振動というか
気配のようなもの・・・
光、鳥たちのさえずり、香り
静けさがよみがえってくる
心のなかでは今でもあのときのまま・・・

2000/07/21記





OSHOコミューンのアイドル 1993

OSHOティアスについて

OSHO.com」からの引用

OSHOティアスは、以前は荒地だった公用地に造られた美しい庭園です。
ここは単に美しい庭園というだけではありません。

清潔で健康的な環境と現代都市の必要性との間のバランスをうまく取ることを目標としたモデルプロジェクトの中で、自然の美しさを取り戻そうとする、瞑想的な人びとのグループによる環境への提唱でもあるのです。

これは同時に水の浄化と使用、灌漑、健康と社会教育、土地利用、森林再生と美化などの問題に取り組むプロジェクトでもあります。この小さな一粒の種は、同様の多くのコミュニティを主体としたプロジェクトを実現させる可能性を含んでいます。

「深い瞑想と存在への感謝の気持ちを持つことで、この地球がより多くの意識と共に、より多くの花と共に成長しつづけることが可能となる。それはロータスパラダイスとなり得る」OSHO