ナーダブラーマ瞑想
Nadabrahma meditation

「古いチベットの法で大気と共鳴する。あなたは限りなく美しい静寂のなかにいるのを知るでしょう」(OSHO HaisaiのCD)。

「ナーダブラーマ」はハミングを使ったヒーリング効果の高い瞑想です。 脳を活性化して あらゆる神経線維をきれいにすると言われており、リラックス効果、鎮静効果に優れています。

私自身(Viramo)、瞑想を始めた頃に、一番フィットして長く続けることができた瞑想法であり、それは今でも毎回新鮮で静けさに満ちています。

ナーダブラーマ瞑想は、古代チベットの僧院で早朝に行われていました。現代インドの覚者OSHOがそれを1時間の美しい瞑想として、現代的にデザインしたものです。内なる静けさに深くくつろぐことができる瞑想です。終わったあとも、その静けさの波動が持続していきます。

ひとりでもできますが、大勢で一緒にやることで、不思議な響きと振動と広がりが生まれます。(現在のzoomでは、大勢の音声を響かせることは無理ですが)

上の写真のキラキラした光の粒は、昇ってきた太陽の光を乱反射する朝露の輝きです。2020年3月2日早朝、エンジェルファームのカモミールの葉についた朝露を撮りました。

Onlineナーダブラーマ瞑想

※クリスタルは無くてもかまいません。
※参加費は、参加前日の17:00まで「PayPal」で決済をお願いいたします(請求書はお送りいたしません).。
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※参加できる日数分をまとめてでの決済もできます。

この瞑想は三つのステージからなる1時間の瞑想です。空腹であることが必要です。ゴングが三回鳴ると、瞑想が終わります。全ステージを通して目は閉じています。

第1ステージ : 30分
目と唇を閉じて、リラックスした姿勢で座ります。周りの人に聞こえるくらいの大きさでハミングを始め、身体全体に振動をつくりだします。ハミングの波動だけで満たされた中空の管、あるいは空っぽの器をイメージします。ハミングがそれ自体で起こり続けているとき、あるポイントがやってきます。その時あなたは、聴いている人になります。特別な呼吸はありません。自分の好きなように音程を変え、スムーズに、ゆっくりと身体を動かしてもかまいません。

第2ステージ : 15分
第2ステージは二つのパートに分かれ、それぞれ7分半です。 前半は、手のひらを上にして、外側へ円を描きます。へその位置から始めて、両手を前に動かし、二つの大きな円を描くように左右に広げます。時にはまったく動いていないように見えるほど、とてもゆっくりとした動きにします。宇宙に向けて外側にエネルギーを与えているのを感じてください。

7分半経つと音楽が変わります。そうしたら、手の平を裏返して下へ向け、反対方向に動かし始めます。今度は、両手がへその方に向かって動き、身体の外側へと円を描きます。エネルギーを取り入れているのを感じてください。 第1ステージでそうであったように、身体の他の部分がソフトにゆっくりと動くのを抑制しないようにしましょう。

第3ステージ : 15分
手の動きを止め、ただリラックスして座ります。

終了後 : 15分
少なくとも15分は何もしません。急にバタバタ用事するようなことがないように余裕をもって行います。

「1時間」の瞑想プログラムですが、開始する15分まえには雑用をやめて静かにした方がいいいと思います。終わったあと15分は静かにしていたい。

1時間の瞑想プログラムの場合、前後あわせて30分を瞑想のために割いた方が望ましいです。それは他の瞑想プログラムも同じだと思います。

 ←ナーダブラーマ瞑想の説明 [OSHO International]




OSHOによる説明

それはマントラ瞑想であり、マントラは最も可能性のある方法の1つだ。それは非常にシンプルだが、非常に効果的だ。 なぜなら、マントラを唱えたり、音を唱えたりする(Chant)と、体が振動し始めるから。特に脳細胞が振動し始める。

正しく行えば、脳全体が非常に活発になり、体全体も活性化する。 マインドが唱え始めると、体が振動し始め、両方が同調する。両者の間には、通常では決して存在しない調和が生じる。

あなたのマインドは自分の好きなように進み続け、カラダはカラダで勝手に動き続けます。カラダは食べ続け、マインドは考え続けます。カラダは道を歩き続け、マインドは遠く離れた星々の中に移動します。両者は出会うことはなく、両者とも別々の道を歩み、それが分裂を生む。

基本的な統合失調症は、カラダが一方向に進み、精神が別の方向に進むために発生する。そして、あなたは 3 番目の要素です。あなたはカラダでもマインドでもないので、この 2 つによって引き裂かれます。

あなたの存在の半分はカラダによって引っ張られ、あなたの存在の半分はマインドによって引っ張られます。したがって、大きな苦しみがあり、引き裂かれるように感じます。

マントラ瞑想・・・ナーダブラーマやその他の詠唱では、これがメカニズムの仕組みだ。音を唱え始めると、どんな音でもかまわない。アブラカダブラでさえ、内側で響き始めると、カラダが反応し始める。

遅かれ早かれ、初めてカラダとマインドが一つの方向に向かう瞬間がやって来る。カラダとマインドが両方一緒であれば、あなたはカラダとマインドから自由になり、引き裂かれることはない。

そして、現実のあなたである第3の要素は、魂、スピリット、「アートマ」などと呼びますが、別の方向に引っ張られていないため、安心しています。カラダとマインドは詠唱に夢中になっているため、魂は簡単に、誰にも見られずにそこから抜け出し、目撃者になることができる。

つまり抜きん出て、マインドとカラダの間で起こっているゲーム全体を眺めることができる。 あまりに美しいリズムなので、マインドもカラダも魂が抜け出していることに気づかない・・・・・それはそう簡単には許さないからね?

彼らは自分たちの持ちものをキープする。誰も自分の持ちものを失いたくない。カラダは魂を支配したがり、マインドも魂を支配したがる。これは彼らの支配から逃れるための非常にずるい方法だ。

彼らはその詠唱に酔い、あなたは抜け出してしまう。だから、ナーダブラーマでは、これを覚えておきなさい。 カラダとマインドを完全に一緒にする。しかし、自分は観る人 Witnessにならなければならないことを忘れないように。

争うことなく、苦労することなく、簡単に、ゆっくりと、裏口から彼らから抜け出すことだ。ん? 彼らは酒を飲んでいる・・・あなたは外に出て、外から見ている・・・・・・

これは、英語の「エクスタシー Ecstasy」という言葉の意味だ。つまり、外に立つことだ。そこから立ち上がって観なさい・・・・・そして、それはとても平和だ。それは沈黙であり、至福であり、祝福。 これが詠唱の秘密だ。

それが、詠唱が何世紀にもわたって広がっていった理由だ。詠唱とマントラを使わない宗教はかつてなかった。しかし危険もある! 外へ出ていかなければ、観る人にならなければ、危険がともなう。

その場合、あなたは要点を完全に見逃す。カラダもマインドも酔って、魂も酔ってしまうと、詠唱は酩酊状態になる。そうなると、それは精神安定剤のようなものだ。それはあなたに良い睡眠をもたらすがそれだけだ。子守唄であり、良いものであり、何も問題はないが真の価値がない。

そこで、これが覚えておくべき落とし穴だ。詠唱はあまりにも美しいので、迷子になりたくなる。あなたが道に迷うなら、それはいい。あなたはリズム、内なるリズムを楽しんでいて、それは美しい、あなたはそれが好きだ、しかしそれはドラッグのようなものだ。

それは幻覚剤のトリップだ。唱えることによって、音によって、あなたは体内に特定の薬物を作り出した。詠唱は体内に化学変化を引き起こし、その変化はマリファナやLSDと何ら変わらない。

いつか、瞑想についての研究が進んでいったら、断食が化学変化を引き起こすのと同じように、詠唱が化学変化を引き起こすことが判明するだろう。

断食の7日目か8日目が終わると、人はとてつもなく歓喜し、重力を感じなくなり、理由もなくとても嬉しくなり、まるですべての重荷が消えたかのように幸福を感じる。あなたのカラダは特定の化学変化を起こす。

私は断食に反対するのと同じくらいLSDに反対だ。そして、詠唱がドラッグとして使われるなら、私はそれに反対だ。したがって、覚えておくべき点は、音、詠唱、マントラを、自分という存在を酔わせるものとしてではなく使うということだ。

それがカラダとンマインドを酔わせる物質であるとしても、酔う前に抜け出すことができる。外に立って、あなたは観る(watch)。体が揺れているのがわかり、心がとても平和で、穏やかで、静かになっているのがわかる。

外から観て(watch)、炎のように注意(alert)しなさい。 これを行わないと、良い睡眠は得られるが、それ以上のことはない。それは健康には良いが、根本的な成長には何の役にも立たない。

グッド・・・ナーダブラーマに注目しなさい。ん?  そして時々、静かに座って、「オーム」や何でも唱え始めたり、何かどんな言葉でも選んで、それにチューニングする。

意味は重要ではない。意味がないものもあり、意味があるものもある。「オウム」には意味がない。または、独自のマントラを作成してそれを唱えることもできる。

ただし、そこから抜け出すことを忘れてはいけない。 体を酔わせ、心も酔わせ、お互いに深い情事におちて、あなたはそこから抜け出す。そこに長く留まらない。そうしないと眠ってしまう。 そして眠ってしまったら、それは瞑想ではない。瞑想とは気づき(Awareness)を意味する。それを覚えておきなさい!
OSHO, The Buddha Disease, Ch 31

It is a mantra meditation, and mantra is one of the most potential ways. It is very simple yet tremendously effective, because when you chant a mantra or you chant a sound your body starts vibrating; your brain cells particularly start vibrating.

If rightly done your whole brain becomes tremendously vibrant, and the whole body also. Once the body starts vibrating and your mind is already chanting, they both fall in a tune. A harmony — which is ordinarily never there — between the two. Your mind goes on its way, your body continues on its own. The body goes on eating, the mind goes on thinking. The body goes on walking on the road, the mind is moving far away in the stars. They never meet — they both go on separate pathways, and that creates a split.

The basic schizophrenia is created because the body goes in one direction, the mind goes in another direction. And you are the third element — you are neither the body nor the mind, so you are pulled apart by these two. Half of your being is pulled by the body and half of your being is pulled by your mind. So there is great anguish — one feels torn apart.

In a mantra meditation — Nadabrahma or any chanting — this is how the mechanism works: when you start chanting a sound — and any sound will do; even abracadabra — if you start resounding inside, the body starts responding. Sooner or later a moment comes when the body and the mind are both together in one direction for the first time. When body and mind are both together, you are free from the body and the mind — you are not torn apart. Then the third element which you are in reality — call it soul, spirit, ‘atma’, anything — that third element is at ease because it is not being pulled in different directions.

The body and the mind are so much engrossed in chanting that the soul can slip out of them very easily, unobserved, and can become a witness — can stand out and look at the whole game that is going on between the mind and the body.

It is such a beautiful rhythm that the mind and body never become aware that the soul has slipped out… because they don’t allow so easily, mm? they keep their possession. Nobody wants to lose his possession. The body wants to dominate the soul, the mind wants to dominate the soul. This is a very sly way to get out of their hold. They become drunk with the chanting, and you slip out.

So in Nadabrahma, remember this: let the body and mind be totally together, but remember that you have to become a witness. Get out of them, easily, slowly, from the back door, with no fight, with no struggle. Mm? they are drinking — you get out, and watch from the outside…. This is the meaning of the English word ‘ecstasy’ — to stand out. Stand out and watch from there… and it is tremendously peaceful. It is silence, it is bliss, it is benediction.

This is the whole secret of chanting — that’s why chanting has prevailed down the centuries. There has never been a religion that has not used chanting and mantra. But there is a danger also! If you don’t get out, if you don’t become a witness, there is a danger — then you have missed the whole point. If you become drunk with the body and the mind and your soul also becomes drunk, then chanting is an intoxicant. Then it is like a tranquiliser — it will give you a good sleep, that’s all. It is a lullaby. Good — nothing wrong in it — but not of any real value either.

So this is the pitfall to be remembered: chanting is so beautiful that one wants to get lost. If you are lost, then good, you enjoyed a rhythm, an inner rhythm, and it was beautiful and you liked it, but it was like a drug — it is an acid trip. By chanting, by the sound, you created certain drugs in your body.

Chanting creates chemical changes in the body, and those changes are no different than marijuana or LSD. Some day, when research goes deeper into meditation, they are going to find that chanting creates chemical changes — just as fasting also creates chemical changes. After the seventh or eighth day of fasting, one feels tremendously jubilant, weightless, very glad for no reason, delighted — as if all burden has disappeared. Your body is creating a certain chemical change.

I am as much against LSD as I am against fasting. And if chanting is used as a drug, I am against it. So the point to be remembered is that you have to use the sound, the chanting, the mantra, not as an intoxicant for your being. Let it be an intoxicant for the body and the mind but you slip out of it before you become intoxicated; you stand out and you watch. You see the body swaying and you see the mind feeling very very peaceful and calm and quiet. Watch from the outside and be alert like a flame.

If this is not done you will have a good sleep but nothing more. Then it is a good thing for health but nothing for the ultimate growth. Good — pay attention to nadabrahma, mm? And sometimes sitting silently, start chanting anything, ‘aum’, will do, or choose anything, any word, and get in tune with it. Meaning is not important: it can be meaningless — it can be meaningful. ‘Aum’ has no meaning. Or you can create your own mantra and chant it. But remember to slip out of it.

Let the body get drunk, let the mind get drunk, let them fall into a deep love-affair with each other, and you slip out of it. Don’t stay there longer — otherwise you will fall asleep. And if one falls asleep, it is not meditation. Meditation means awareness. So remember it!

Osho, The Buddha Disease, Ch 31


ナーダブラーマと副鼻腔
Nadabrahma and the paranasal sinuses

Sambodhは興味深い科学的事実を発見しました。
(OSHO NEWS 2017/01/28)

昨年68歳のとき、私はバイロンベイでの呼吸再訓練コース(Breathing Retraining course)中に、副鼻腔と呼ばれる鼻の隣の頭の中に、一酸化窒素NOと呼ばれる魔法の血管拡張性ガスを生成する神秘的な空洞があることを発見しました。

鼻呼吸をすると、呼吸するたびに微量のこのガスが肺に入り、気管支を拡張し、気道のウイルスや細菌も殺します。私の呼吸パターンを変えるのに充分な刺激的な理由があります! 

今年、私は無料のオンライン PubMed のおかげで、この発見に関する 1995 年の研究を再検討していました。そして、鼻呼吸と同時にハミングすると、副鼻腔から気道への一酸化窒素が大量に流出し、これは、NOの生成に欠陥のある副鼻腔炎の場合の診断ツールとなっている程です。スウェーデンの研究者たちは研究結果を次のように要約しています。

「ハミングについてのより挑発的な見解は、ハミング自体が副鼻腔炎の予防または解決に役立つ可能性があるというものです。そのメカニズムは単純に、ハミングによって副鼻腔内のガス交換が大幅に加速され、新鮮な空気が入ることができ、それによって酸素レベルの低下に伴う病理学的プロセスが防止されるということです。

すべての副鼻腔ガスを交換するのにかかる時間は 5 ~ 30 分ですが、小孔が部分的に閉塞している患者ではさらに長くなります。ハミングでは、これが一度の呼気で起こります。」

したがって、ナーダブラーマが古代チベットの癒しの瞑想であるという主張は、過去 20 年間の最先端の生理学的研究によって完全に証明されました。 私はそれゆえハミングしてみます!(I’ll hum to that!)